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『スキマワラシ』の不思議体験

恩田陸さんと言えば『蜜蜂と遠雷』だ!と思う人が多いかも知れないけれど

私はいまだにこの超有名作は読んでいなくて、恩田陸さんと言えば今も昔も『夜のピクニック』

昔の友人がこの「歩行祭」がある実在の高校出身で印象深かったこともあるかも。もう随分前に読んだので詳細はかなり忘れてしまっているけれど、とにかく爽やかな読後感だったことは覚えている。これはまた別の話。

そこでです。何となく明るくて読み応えのありそうな小説を探していた私は、ふと目に入った「爽やかな背表紙」「なんか分厚い」「恩田陸さん作品」ということで今回こちらをひょいっと購入。そして、恩田陸さんにしてやられた。いや、違う。失礼すぎる。恩田さんは1ミリも悪くない。世にまた面白い小説を出してくださっただけだ。悪いのは、ろくにあらすじも読まずに本文に入った私だ。
本題に入りましょうか。

『スキマワラシ』- 著者 : 恩田陸さん

せめて、帯ぐらいちゃんと読んでおけばよかった。

白いワンピースに、麦わら帽子。廃ビルに現れる"少女"の都市伝説とは?
物に触れると過去が見える、不思議な能力を持つ散多(さんた)。
彼は亡き両親の面影を追って、兄とともに古い「タイル」を探していた。
取り壊し予定の建物を訪ねるうち、兄弟はさらなる謎に巻き込まれて---。
消えゆく時代と新しい時代のはざまで巻き起こる、懐かしくて新しいエンタテイメント長編。

帯のあらすじ

都市伝説と言いつつ、もしやだいぶお化け寄りでは…?そして主人公、サイコメトラー的なあれやん…?と、最初にある程度心の準備をしておけばよかったのです。(でもでも、先にこれ読んでもあんまり怖そうではないよね??)

本文と言えば冒頭からずっと、「僕」散多君の一人称で安定の視点。あまり奇を衒った表現が無く、比較的平易な言葉遣いで情景・状況を描写されているので、その場を頭の中で映像化しやすい。そう、映像化しやすい。。。
何て事のない日常の風景に、不意に(「僕」もいつも大体油断している時に)、不思議なことが起こるのです。それがまた淡々と丁寧に描写されているので、まあイメージがしやすくて。そして突然スピード感を持ってきたりで。。。

これって、もし映画化とかされたら、演出によっては途中のシーン結構怖くできちゃうかも(泣)。と、ややビビりながらも読んでしまう。だって恩田陸さんだから。読みやすいのです。でも途中ちょっとだけ怖い。なんてことない表現なんだけど、後から思い出すとちょっとぞわっとするところもある。夜中に寝る前に読む用には、やや向かなかった笑。

でも完走。だって恩田陸さんだから。そして読後感は良い。完走してよかった。それにラストの演出は、残りこのページ数でどうまとめるのかしら??と思ってたら、そう来たか!という感じだった。怖かったものへの恐怖がだいぶ軽減された。むしろ、唖然としすぎて笑うしかないような、微笑ましくなるような気持ちになった。

現代アートというものが、日常に強烈な異化作用をもたらすものであり、見慣れた景色の中にみたことのないもの---あるいは、その中に隠されていたもの、内包されていたものを顕在化せしめるものであり、もしかしたらこっちの世界が本物の世界なのではないか、と思わせる(疑わせる)体験だったのだ。

本文 P.423

主人公は本文の中で2回ほど、こういった感想を持つところがある。私がこの本を通して特に共感したところのひとつ。これはまさに、小説というものでもあるだろうと思った。
いつもの当たり前の日常を言語化して、でもそこにちょっと、いつもと違うものを混ぜ込む。それは人物であったり、出来事であったり。何をどのぐらい入れ込んで表現されるかは、作家次第。
さらに「読む」というフィルターを通して、何をどのぐらイメージしたりそこに「ある」ものとして捉えるかは、読者次第。

小説の醍醐味は、こんなところにもあったな、と思わせてくれる読書体験でした。

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