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のり子と俊太郎と私

もし私がのり子と俊太郎と同じ時代を生きていたのなら、
何でも言い合える友だちになっていただろうか。

もし私がのり子と俊太郎と同じ時代を生きていたのなら、
あんな風に人の心を燃やすような詩が書けただろうか。

のり子と俊太郎が今の私を見れば、
なんてざまだと罵るだろうか。

こんなに自由を得て、一体に何に使っているんだ、
もっと貪欲に完璧に残さず使えと呆れるだろうか。

魂が入らぬ 機械で生まれた言葉なぞ
所詮 吐き出された二酸化炭素のようなものに過ぎぬ

日を浴び 水を吸い 体に血を巡らせろ
人が喜ぶ 言葉を紡ぎ出せ 命を吹き込め

「このほら吹きが」
「ほら吹きで何が悪い」

「お前のへそに聞け」
「腹をどつかれたくらいなんともないさ」

「立ってるだけでは あいつが銃の引き金を引き
そのうち熊に 食われておわりさ」

「誰も聞かないメロディに耳を傾けろ」
「ささやくような鳥のさえずりに 胸を躍らせろ」

急げ 時がきた
のり子と俊太郎と私の宴だ

インスタントフィクションとは自由な発想と気軽なノリで書かれた文章、読書しない人でも遊び感覚で挑戦する。原稿用紙1枚=400字の中で表現、自分の思う「面白い」を入れるのがルール。

youtubeピース又吉直樹「渦」より

今年、初めて購入したものは『谷川俊太郎選 茨木のり子詩集』だった。

どうしても茨木のり子の詩に触れたくて、今年はたくさん詩を読もうと決めていた。

時代背景が違うから完全に理解することができないものもあるが、
腹をえぐられるようなパンチの利いた詩が今の私には突き刺さる。

二人の世界に入れてもらいたくて、こんなのを作ってみた。

いったい何を言いたい詩なのかわからないだろうが、それでいいのだ。
私だけの三人の世界。

今日はこんな気分。


<1年前の”種まき日記”>
「私は・・・」宣言。
今年、同じように書いたとしても変わらないだろうから、読んで確認するとしよう。

<2年前の”ほのぼの日記”>
最近、心に潤いがない。
「優しさ」は、心があちこちに動かないと生まれないものなのかもしれない。
そういう意味では、やっぱり実家は居心地のいい場所だ。親と口喧嘩もするけれど、そういうのが私の心の泉を満たしてくれるのだと思う。

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