ほのぼの生きる 037_20230213
種を蒔く
私はとんでもなくせっかち(短気)である。
しかし、走ることにおいては短距離は苦手。マラソンの方が好きだった。
人生においてはどちらかという長距離走タイプなのだろうか。
でもペース配分を時々間違えることもある。
コンスタントに走るタイプではなく、ダッシュしてみたり、歩いてみたり、たびたびコースを変更してみたり、立ち止まってみたり(・・・はないか)。
走りながら景色を眺める余裕がある時もあれば、ただ無心に走っている時もあったり、急にいろんな考えを巡らせてそっちに集中して足だけがただ動いているときもあったり。
今はゆっくり歩いている感じなのかな。
思いっきりダッシュしたからクールダウンみたいな。でも急に止まってはいけないからただ歩いているみたいな。次、いつ走りだそうかなと考えながら歩いてみたり、いやいや今は景色を眺めていようぜとわざと考えることを止めてみたり。
昨日、noteを始めて1周年を迎えた。
私は開始当時転職を考えていた。今から思えば、なぜ転職を考えているようなときに新しいことに挑戦してしまったのか分からない。
noteに何を求めていたんだろうか。
自分の思考の整理にと思っていたが、これはすごくかっこつけた理由だ。だって思考の整理だったら別に公表する必要ないやん。
自分の書くものを人に見せるって。しかも思考の整理するためって、どんだけ精度低いもんを世の中に出してんねん。
おそらく、この時の私は「自分への種まき」をしたんじゃないかと思う。
noteを始めることによって生まれる何かに何某かの期待をしたのではないかと思う。それが本当のところなんだろうなぁ。
1年経って、noteに蒔いた種はどうなったか。
心のともができた。
絶対に会うことのなかったであろう顔も名前も知らない人たちとつながった。
ただつながっただけじゃない。新しい考えや生き方や環境や文化、たくさんのことを日々吸収していると思う。
そして自分自身も発信している。たいして中身のないことかもしれないが、それでも自分が生きてきて得た何かしらのことをアウトプットしているんだ。
(これを「排泄物」だと表現したラッパーさんがいるが、この記事はまた今度。妙に納得し気に入った。)
とにかく昨年の2月に蒔いた種は明らかに私に変化を与えてくれた。もうあの頃の私には戻れない。noteの世界を知ってしまったから。素晴らしい仲間に出会ってしまったから。
結局、年末に退職し、現在無職の私は、また種まきをしている状態なんだと思う。2月って種まく時期?
日々noteを続けているのもまだ種まきの状態だ。自分が発信したものが、つながった人たちが、今後どのように変化していくのか、それともずっとこのままなのか、分からない。そもそもこのnoteの種は花をつける種なのか?まぁ、それはあとになってからわかることなんだろうな。
そして、今わたしが蒔いている種(無職なりに頑張っていることはある)は将来の私にどんな花を咲かせてくれるのか、とても楽しみである。せっかく猶予をもらった貴重な時間なのだから、いろいろと厳選して少しずつ種を蒔き、日々水をやって、たくさんでなくていい、一つの大きなキレイな花が咲いてくれるといいな。
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