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名前は無くとも、それは強く美しく忘れられないものだった

名前は無くとも、それは強く美しく忘れられないものだった。だから、すぐに気がついた。全然気に留めていなかったにもかかわらず。

昔話から始めようと思う。

高校生の頃、部活以外の時間は学校の図書室で過ごすことが多かった。割と充実した蔵書で、小説はもとより雑誌もたくさんあった。ダ・ヴィンチやらライトな文芸雑誌をパラパラと捲り、手当たり次第に小説や詩集、評論ばかり読んでいた。何がきっかけだったか今はもう思い出せないけれど、澁澤龍彦を知ったのはその図書室で、ああいうのをちょっと伏し目がちに読んでいるのがどこかかっこいいと思っていた節がある。今にして思えば立派な厨二病ならぬ高二病だ。

そんな頃、桜井亜美という作家がいることを知った。高校生でプロ作家として活動しているらしい。宮台真司も推していたような記憶がある。根拠もなく何故かピンと来てしまったので早速書店でイノセントワールドを買った。その後、10作くらいは出る度に買っては読んでいた覚えがある。

お話の内容や評価については読書メーターやオンライン書店のコメントなどを見てもらいたいと思うのだけれども、その時に体験した読書以外のことが案外強く印象に残っているのだ。桜井亜美という作家をきっかけに幻冬舎という出版社を知ったというのがまず挙げられる。いつしかあの水色のカバーがついたものは何故か全て良さそうに見えた。桜井亜美を世に出すセンスのある出版社なのだから信用して良いだろう、ということだ。

もう一つ強く心に残っているのは表紙。イノセントワールドに始まり、ガール、エヴリシング、14 fourteenと立て続けに異常なまでに惹きつけられる写真が使われていた。それまでに経験したことのないビビッドでどぎついコントラスト。毒々しく、そしてメランコリーで、どこか退廃的な空気。それでいて透明感もある。うまく言えないのだけれど、生まれて初めてすごい写真だと思ったのは桜井亜美の表紙だった。

時は経ち、特に理由もなく桜井亜美を追いかけることはやめてしまった。きっとそれは歳を取ったからだろう。それ以上でも、それ以下でもない気がする。

もう全てを忘れてしまった頃にたまたま一枚の写真を見て、突然あの強烈な感覚が再びやってきた。桜井亜美の表紙と似ている。いや、絶対同じ人だ。そう確信した。

写真家は蜷川実花であった。

思えば、文庫本に写真家のクレジットが入っていたはずなのに、それを読んでいるはずなのに、全く覚えていなかった。それでも画面の力のことは忘れられずにいたのはなんとも不思議なことだ。

こんなことは案外多いもので、名前は覚えていなくとも強く美しいものは忘れかけていてもちょっとしたきっかけで記憶の奥底から呼び出され、また光を放つ。原田宗典を買う度に原研哉を見ていたし、ブラーのアルバムを手に取ればジュリアン・オピーも見ていた。日本語であそぼを観ることはひびのこづえを目にするということでもあった。事後的に名前を認識するに至るとはいえ、その瞬間それらに名前は無くとも、強く美しく忘れられないものだったことは間違いない。

強く美しいものはそれだけで素晴らしい。とにもかくにも全身でそのエネルギーを受け止めれば良い。そこに名前など不要なのかもしれない。

人は整理したがる生き物だ。なんだかよく分からないけれども凄いものを前にした時、それが何物であるかを過去の経験や知識で「解釈」したがる。分からないものは怖いからなんだと思う。分かれば安心する。それが人間に備わった本能であると言えばそれまでだけれども、「スゴイモノ」のままにしておくのも案外大事なんじゃないだろうか。怖さと対峙し、それをそれとして受け止めることもまた一つの理解だろうと思ったりしなくもない。誰が作ったか、誰が言ったか、誰が行ったかは二の次でも良いじゃないか。固有名詞が後から付いてくるものアリだろう。いや、後から付いて来ても、来なくても良いものなのかもしれない。

暑い夏の日、居酒屋で「ビール」とだけメニューに書かれた、キンキンに冷えたビールを飲む。美味しい。そこに名前は無い。でも、それで十分だ。

私が端っこの方にいるクラフトビールの業界では付加価値を作るためにストーリーが必要だと叫ぶ人たちがいて、何とも言えない気持ちになる。まぁ、事業者からしたら素直な本音なのだろう。名指しで飲んで欲しいし、買って欲しい。ファンになって欲しい。でも、名前は感動の前ではなくて後に必要になるんじゃないだろうか。名もなき素晴らしきものとして強くなくてはならない。今はそんな風に思っている。


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ヲキトシヒコ/CRAFT DRINKS
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