武器商人秘書オリガのノートブック#31 : 「国際情勢弱肉強食#1: パナマ運河の歴史 米国のドロドロ」 <ー アメリカのどろどろもオリンピック金メダル級です、翻弄されるパナマ
今回は「国際情勢弱肉強食#1: パナマ運河の歴史 米国のドロドロ」についてコメントをさせて頂きます。
弱肉強食交際情勢を見て行きましょう。 遠いようなパナマ運河、実は北米東海岸と日本を結ぶ重要な役割をしています。
ちかごろ、降水量が少なくなかなか通れなくなったとか...
それは、ともかくこのパナマ運河とんでもない歴史を背負っていますのでご紹介しましょう。
さて...
表と裏がありますので、公式な表歴史から
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パナマ運河の構想は、1513年にバスコ・ヌニェス・デ・バルボアが初めてパナマ地峡を横断したときに遡ります。北アメリカと南アメリカの間にあるこの狭い陸橋は、大西洋と太平洋の間に水路を掘るのに最適な場所でした。初期のヨーロッパの入植者はこれを認識し、運河の建設に関するいくつかの提案がなされました。
1881年、フランスのフェルディナン・ド・レセップスがパナマ運河の建設を開始しました。しかし、工事は難航し、資金難もあって1889年に中断されました。
1903年、アメリカはコロンビア政府と交渉して、パナマ地峡に運河を建設し、それを支配することを認めた条約を締結しました。(<ー ここがキーです、黒歴史につづく) アメリカは翌年建設に着手し、1914年8月15日に完成させました。
パナマ運河の完成は、世界貿易の革命をもたらしました。ニューヨークとサンフランシスコの距離は、マゼラン海峡やドレーク海峡を回り込まずに約1万5000キロメートル短縮され、貨物の輸送時間が大幅に短縮されました。
パナマ運河は、アメリカにとっても重要な戦略拠点となりました。第二次世界大戦では、アメリカ海軍の艦船の往来に不可欠な役割を果たしました。
1999年、パナマ運河はアメリカからパナマ政府に返還されました。現在は、パナマ運河庁(ACP)が管理・運営をしています。
パナマ運河の歴史は、世界貿易と地政学に大きな影響を与えた歴史と言えるでしょう。
パナマ運河の特徴は、以下のとおりです。
全長:約82キロメートル
最小幅:91メートル
最大幅:200メートル
深さ:12.5メートル
閘門式:船舶は、閘門と呼ばれる水門を通って高低差を乗り越える
通行料:船籍・軍民を問わず通行が保証されている
パナマ運河は、世界で最も重要な運河の1つであり、今後も世界貿易の発展に大きく貢献していくでしょう。
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実際はどうだったのか、途中まではおなじなのですが...
パナマ運河は1881年、フランスのフェルディナン・ド・レセップスがパナマ運河の建設を開始しました。しかし、工事は難航し、資金難もあって1889年に中断されました。
その後、パナマ運河地帯としてアメリカ合衆国によって建設が進められ、10年の歳月をかけて1914年に開通しました。
ここまでは、良いのですがここでアメリカが出てくるのは実は超黒です。
そもそも、当時のパナマは当時実はコロンビアの領土なのです。
コロンビアは1819年にスペインから独立し、大コロンビア連邦となりました。この連邦は現在のベネズエラ、コロンビア、エクアドル、パナマ全土と、ガイアナ、ブラジル、ペルーの一部を領土としていたのです。
恐ろし広さです。
ひとえにシモン・ボリバルさんのお陰ですね~。
しかし、パナマはコロンビア本国から遠く離れた場所にあり、コロンビア中央政府の支配が行き届かない地域でした。また、パナマは豊かな自然資源に恵まれていましたが、その恩恵はコロンビア中央政府に奪われ、パナマの人々は不満を抱いていました。
1903年、アメリカはコロンビア政府と交渉して、パナマ地峡に運河を建設し、それを支配することを認めた条約を締結しました。しかし、コロンビア議会はこの条約を批准しませんでした。
この条約を、人呼んで「ハイニケン・ヘルナンデス条約(Hay-Herrán Treaty)」だったでしょうか。
これを受けて、パナマの有力者たちは、アメリカの支援を受けてコロンビアからの独立を宣言しました。アメリカはパナマの独立を承認し、パナマは1903年11月3日に独立を果たしました。
そもそもこの承認劇がまた黒。
この有力者たち、実はそうとう米国よりというか、米国そのもの?
その後、アメリカはパナマ政府と新たに条約を締結し、パナマ運河の建設を開始しました。1914年8月15日にパナマ運河が開通したことで、世界貿易は大きく発展しました。
パナマの独立は、パナマ運河の建設を実現させただけでなく、パナマの人々が自らの運命をコントロールする権利を手に入れたことを意味していまた。
表向きは...
現実は?
アメリカの画策によって1903年に分離独立したのです。理由は上記の通り、アメリカは最初、コロンビアに対して運河建設を持ち掛け、いったんは政府間で合意したが、コロンビア議会が反対し、断られてしまいましたからです。その後、アメリカはパナマの独立を支援し、パナマ運河の建設の権利を買い取りました。
で?
パナマ運河の建設権と関連地区の永久租借権などを取得するために、アメリカはパナマの独立を支援しました。具体的には、1903年11月18日にアメリカとパナマは「パナマ運河条約」を結びました。この条約の第2条では、アメリカは「運河の建設、維持、運営、衛生及び保護のために幅員10マイルにわたる運河地帯の使用、占有、支配権を永久に付与」されました。
なんだよこれ!!! 状態。
また、第3条では、第2条で規定された土地をアメリカは「あたかも主権者であるかのように」所有し、権利を行使することができるとされました。これにより、アメリカはパナマ運河の建設に着手しました。このような経緯から、パナマ運河の存在はアメリカとパナマの間の複雑な歴史的関係を示しています。
最終的には、長らくアメリカによる管理が続いてきましたが、1999年12月31日正午をもってパナマに完全返還され目出度しめでたし。
と言いたいところですが、
アメリカがパナマで起こした問題については、事例があります:
国旗事件(1964年):運河地帯でのパナマ国旗の掲揚がアメリカ人に拒否されたことをきっかけに暴動を起こしたパナマ人学生が、アメリカ軍によって射殺された事件が発生しました。この事件によってパナマとアメリカは一時国交を断絶しました。
パナマ侵攻(1989年):ブッシュ政権下のアメリカが中米のパナマに軍事侵攻した事件です。パナマの最高権力者マヌエル・ノリエガの政権を排除するために軍隊を派遣しました。アメリカ軍は陸海空軍数万人を投入し、パナマに侵攻しました。最新の兵器を使用するアメリカ軍は、パナマ軍と戦闘を繰り広げましたが、圧倒的な軍事力でパナマを制圧しました。ノリエガはアメリカ軍に拘束され、40年の禁固刑に処されました。
実は、マヌエル・ノリエガさんアメリカの手先だったんじゃないの~
これらの事件は、アメリカとパナマの間の複雑な歴史的関係を示していますが、冷静に考えれば、普通他国でこんなことをしますか?
ちなみにパナマは自国通貨を使わずUSDです。
実は、この最高権力者マヌエル・ノリエガ逮捕劇の直後のパナマに行ったことがあるのですが、パナマ人のお客様さまはなんと、仕事を放り出し米国が逮捕の時にやらかした米国兵との銃撃戦の後を案内し、壁の弾痕を指さし私に怒りをぶつけていました。
今回、パナマ運河で水が足りないをいう話を小耳にはさみ、当時のパナマ人の怒りを思い出したので、記事にしてみました。
日本に対しても弱くなれば、アメリカは今のフィリピン(領海侵犯などされ、アメリカはフィリピンの同盟国なので、せめてフィリピン寄りの声明をだせばいいのになにもアクションをおこしていません)になります。
まとめると、これを見てお分かりの通り、米国は「自国の利益の為」なら「他国家を分離独立させ」勝手にいじくりまわすような国をいうことを理解しておいた方が良いと思います。