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じゃがいもたらこスパ

今夜の晩ごはん、じゃがいもたらこスパ。男爵いもは洗って皮付きのままラップに包み、レンジでチン。粗熱が取れたら皮をむいて、5mmくらいの厚さでいちょう切りにする。たらこ(明太子でもOK)は皮を取り外してほぐし、固形コンソメを砕いたもの(顆粒があればもちろんそれで)、砂糖少々と合わせて、ごくごく少量の水で溶き混ぜておく。水菜は洗ってざく切りにする。

パスタを茹で始めると同時に、フライパンにて少量のオリーブ油でレンチン男爵を炒める。以前はレンチンなんかせず、生のまま適当に炒めていたのだけれど、自分は最近揚げ芋に脳味噌という脳味噌を啜られ尽くしているので、レンチンからの揚げ焼き風にした。油は少量でも、じっくり焦げ目をつけるような気持ちで焼いていくと、ちょっと最強フライポ風のカリカリ感が出てくる。よい感じのカリカリになったら火を止めておく。

パスタはアルデンテちょい手前くらいで火から下ろしたら、すぐに茹で汁少量と共に男爵のフライパンに移し、さらに水溶きしたたらこ、水菜2/3量も合わせて、再び加熱しながら手早く混ぜ合わせる。水菜がしんなりし、男爵とパスタにたらこジルがほどよく絡みついた時に、パスタがアルデンテになっている……というのが理想的。とにかくスピード勝負にて。もたもたしているとたらこに火が通りすぎて、パッサパサになってしまうのでね。パッサパサになったたらこ以上にやるせない気持ちにさせる光景を、君は見たことがあるか?あるなら教えてほしい。

フライパンの中がいい感じになったらお皿にホイ。残しておいた水菜1/3をてっぺんに載せてできあがり。


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いやあ、久しぶりに作ったなこれ。


これは、私が初めて自主的にレシピを覚えて作ったパスタ料理なんであります。今を去ること24年前……1997年の年頭に発売された『non・no 1/20・2/5号』に掲載されていたレシピをベースにしている。

当時私は10代のうら若き女学生であったのですが、初心でオクテなネンネチャンでもあったため、こういうファッション誌なんてほとんど読む機会がなかったと思う。お小遣いも少なかったですしね。それでもまあおしゃれとか気になってくるお年頃だもんで、ごくたまにこういう雑誌に手を伸ばす機会もあったのだろう。そういう、めったに読まないファッション誌において、最も鮮烈な印象だったのが食べ物の記事って、なんというか我ながら人として軸がぶれてないな。笑えるような泣けるような。


まあそんなわけで、かれこれ20年以上も繰り返し作っているじゃがいもたらこスパ。せっかくたらこを使っているのにコンソメで味つけするという、見ようによってはたらこへの冒涜と受け取られかねないこのパスタ。なのでありますが……これがね~、なかなかにおいしいのですよ!コンソメにごく少量の砂糖、というジャンクな味わいに、たらこがもたらす海の香りと旨み。じゃがいものほっこりした甘さを引き立てつつ、ほんのり香る水菜の苦味にも不思議とマッチング。もちろん、このたらこジルがふんだんに絡んだパスタは、言うまでもなくおいしい!たらこに火を通しすぎさえしなければ、シャクシャクした水菜や、ほっくほくのじゃがいも(今夜はおまけにカリッカリ!)との食感の対比を楽しみながら、つるつる、つるりといただける。ま、火が通りすぎてパサパサたらこになっても味はおいしいです。

ちなみにこのレシピ、「野菜たっぷりパスタで健康的にダイエット云々」的な特集に掲載されていたものだ。パスタを一人前60gに減らす代わりに、じゃがいもを1個使い、ヘルシーなのに満足感もバッチリ☆という趣向らしい。パスタの代用としてじゃがいもを用いることが、果たしてヘルシーなのか否かは、浅学な自分にはよく分からない。分からないけれど、食べごたえは確かにボリューミー。でも基本的にはさっぱりとしたコンソメベース味なので、重たすぎることもなく、ちょうどいい感じだ。ああ、このちょうどいい感じってのが、長年私がこのパスタを作っている理由なのかもしれないな。ごちそうさまでした。


オリジナルレシピでは、水菜は入っておらず、代わりにマッシュルームを使っている。このじゃがいも&たらこ、きのこ類はもちろん青菜もよく似合うし、揚げ焼きにした茄子なんか入れてもいい。冷蔵庫の整理も兼ねて残り野菜をたっぷり入れると、それこそヘルシーなのに満足感バッチリ☆になります。ちょいとジャンクな味がお嫌いでなければ、ぜひお試しあれ。


ところで先ほど申し上げたnon・noなのだが、どういう訳か未だに我が家に現存している。


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これが件のダイエットレシピ特集。そうか、じゃがいもは白野菜ってジャンルだったのか……(他に赤野菜コーナー、青野菜コーナーもあり)


雑誌はちょっと気を抜くとすぐに密林を形成しがちなため、読み終えたら容赦なく捨てて捨てて捨てまくってきたはずなのだけれど、この1冊だけはどういうわけか、時々鍋敷きにされるという憂き目にあったりしつつも、ずっと残っている。

時おり懐かしさにページをめくると、なんとも言えない……せつなくて、気恥ずかしくて、けれどほんの少し羨望にも似ているような、不思議な気持ちになる。限られたお小遣いの中からごくたまに買う雑誌、その中の世界の眩しさ、きらめきに、気後れしたり嫉妬したりしながらも、強く惹かれ憧れていた頃の自分を思い出すからかもしれない。

もちろんいい年になった今でも、何かに惹かれたりときめいたり憧れたり、そういう気持ちは自分の中にきちんと存在している。何かに恋する気持ちは、欲を言えば生涯持ち続けていたい。

でも思春期のあの、肥大化しまくった自意識で持っていた感覚……何かに恋することが、時にとても苦しかった、あの気持ち。うつくしい人やまばゆい世界を見つめる時、心のどこかに沸き上がる嫉妬や、あまりにかけ離れすぎている自分への嫌悪感。それがたまらなく苦々しかった時期を過ぎて、今思い返すといやー若かったな、かわいらしかったなーなんてしみじみ思う。ああいう感覚は、ある意味若さの特権なのかな。

年を取るってのはありがたいことで、今は胸ときめく眩しい存在に遭遇しても、羨んだり嫉妬したりすることはなくなった。うつくしくて格好良くて惚れ惚れするような存在が、その輝きを持ち得るまでに注いできた時間や努力について、想いを馳せられるようになったからだと思う。(そういや「うらやましい」って言葉もあまり使わなくなった気がする)恋心を抱いた存在に対しては、ひたすら甘やかにときめきつつ敬服するばかりだし、そんなひとときを与えてくれることに感謝するばかり。ま、「それに比べてあたいったら……」と落ち込む気持ちは、今でもないと言えば嘘になります(笑)。でも、自分に手の届きそうなところをちょっと真似してみたりして、ひとり自己満足でにやにやしたりして。そんな楽しみ方ができるようになったよなー。


ちょっと何言ってるか分からない?ええ、私も分からなくなってきました。今夜は酔いの巡りが早い。



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これを読もうとすると、どういう訳かこの方は必ず上に乗りにくる。松雪泰子さん(表紙)が好きなのか?鍋敷きにされたりねこ用座布団にされたり、我が家にやって来たばっかりに苦労が耐えないね……。運命と思って諦めてほしい。

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