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「戦争とプロレス」感想

イントロダクション

 ある日、Twitterでフォロワーさんと「プロレスラーの書いた本」について会話をしていたときのこと。

 なんと、TAJIRI選手から直々に引用リツイートされてしまったのである。もともと、20数年前にホームステイ先のニュージーランドで見たWWF(当時)が入口となってプロレスに触れた自分にとって、TAJIRI選手という存在はあらゆる意味でスーパースター。熱狂する異国の会場で戦うさまを、九州の片田舎からCS放送のSMACK DOWN中継で見ていた雲の上の存在であった。そんな"スーパースター"TAJIRI選手から、図らずも好意的なリアクションを貰えたことに、ついつい動揺してしまったわけである。
 さて、そんなTAJIRI選手であるが、類まれなる文才の持ち主という一面も持ち合わせている。WWE在籍時代に週プロで連載していたコラムは、毎回抜群の読み応えで楽しみにしていたし、近年はコンスタントに著書を出されており、我が家の本棚にもしっかりと鎮座している。そして直近にも「戦争とプロレス」と題した著書を発刊されたのだが、引用RTからの一連の流れで、なんとご本人から紹介与ることになってしまった。

 翌日、書店に走ったことは言うまでもない。そして、読み終えた直後、これはどんな形でも感想をアウトプットとして残すべきだ、という思いが消えなかった。

「戦争とプロレス」所感

 前作「プロレス深夜特急」でも見られた80年代風の軽やかな軽薄調の文体と、少しのほろ苦さを残す読後感のフォーマットは引き継ぎつつ、今作では世界のプロレス旅の風景を通じて、戦争、疫病、難民、障碍、LGBT、貧困…といった重いテーマが次々に突き付けられる。といっても、読者に向けて何かを啓蒙しようとか、ましてや「日本に閉じこもり、世界を見ようとしない読者に対して大所高所から説教をぶとう」「世界のスーパースターである自分が金言を授けよう」などといった姿勢は毛頭見られない。むしろTAJIRI選手(=以下筆者)自身の戸惑いや恐れ、自問自答など感じたことが飾らすありのままに綴られているだけである。そこにはひとりの旅人の視点があるばかりで、かえって生々しいリアリティをまとって、読者へ訴えかけてくる。例えばポルトガル編で、ポルトガルという国の桃源郷のごとき魅力を綴ったかと思えば、返す刀で地元選手に政府の無策で国民がどれだけ苦境に陥ってるかを語らせるなど、決して隣の芝の青さを語るだけでは終わらせない二段構えの筆致に引き込まれる。そうかと思えば、アメリカ遠征編では「血の滴るステーキ」(プロレススーパースター列伝からの引用だろうか?)という小道具を巧みに操るさまは、まるで一点集中攻撃のクラシカルなプロレスを見ているようだし、斉藤兄弟編では、二人の「旅芸人としてのレスラー」の才覚を感じ取り、手練れのコーチングで兄弟のスキルを引き上げる名伯楽ぶりに心躍らされる。重苦しさと能天気さ、仲間と孤独、世界と日本…「戦争とプロレス」という表題だけに収まらない緩急自在の文章が綴られていくのは、本書が「紀行文」に他ならないからだと思う。

 思えば、筆者は「プロレスラーは旅芸人」と公言し、本作の中でも数多の異国の観客を熱狂させてきた経験を引き合いに、ガラパゴス化する日本のプロレスへの違和を唱えている。「平家、海軍、国際派」という古い言葉のとおり、日本という国で国際派は主流となれない風潮があるが、むしろ筆者は自ら進んで傍流を歩み、旅を続けているようにすら感じられる。そんな旅人が混沌とする今の世界をありのままに、されど軽やかに記した一冊。書店でプロレス本のコーナーだけに並ぶのは、あまりにももったいない。願わくば、「地球の歩き方」と同じ棚に置いてもらえないだろうか。


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