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感想と紹介 「嫌われる勇気」

今日使わせていただく写真は、見てるだけでけだるい最近の暑さを忘れさせてくれるような雪景色から。下に見えるのは樹氷だろうか。空の淡いグラデーションと相まって、なんとも幻想的である。僕は、出身が岩手県なので、雪景色を見るとなんとなく東北の冬を連想してしまう。そういえば、某ウイルス騒動でゴールデンウィークに実家に戻れていなかった。久しぶりに家族と顔を合わせたいという思いが心に浮かんだ。撮ってくれた人に感謝。

今日の僕の一日を一言で表現するなら、迷いなく「戦争」と答えよう。明日はもうテストだし、課題の提出期限も待ってはくれない。なんとしてでもやり遂げなくてはなるまい。今日の戦闘開始は朝の3時からだった。昨日の失態を取り返すようにやるべきことに邁進し、時には文句を吐きながら戦闘を続けること、はや12時間以上。半日以上の時間をかけ、ようやく終戦の兆しが見えた。まずはここまでの健闘を素直にたたえよう。よく頑張った、私。

正直、体がもうボロボロだ。頭は眼精疲労からくる頭痛でガンガンするし、目は、左目が充血してほぼ真っ赤。体の節々が固まってしまって、動かすと出来損ないのロボットのように変な音を立てて、どこかぎこちない。今日は早く体を休めるのが賢明だろう。

だが、完全に記憶から消し飛んでいたが、今日は日曜日である。幸いまだ一日は終わっていない。勉強だけで終わらせるのはもったいなく思った。僕にだって、やりたいことは山ほどある。その中でも昨日から楽しみにしていたことの一つが、「嫌われる勇気」の読破である。昨日読み終わったところがえらく中途半端で、続きが気になっていたのだ。そして、満身創痍の僕は本を手に取った。これだけ疲れていても、読書は別腹といったところか、集中して読み切ることができたのには驚いた。

長々と前語りを書いてしまったが、今日は「嫌われる勇気」の感想と紹介を書かせていただきたく思う。

以前にも2回にわたってこの本の感想を書いてきたので、何回も同じようなことを書いているかもしれないが、それだけ印象に残ったことだと受け散ってもらえたら幸いだ。

この本を一言で表すと、「私たちがありのままに生きる考え方を教えてくれる本」といったところだろうか。この本では、アドラー心理学に基づいて、私たちがありのままに、幸せに生きるとはどういうことなのか、どのように考えれば私たちは自由になれるのかを、「哲学者」と「青年」の対話を通してひも解いていく。

この対話形式という書き方が実に面白かった。普段の文章を読むときに感じる、「理解しよう」とする感覚があまり強く感じず、代わりに「考えてみよう」というスタンスで読書ができた気がする。アドラー心理学というなじみのないものを新しく知るので、当然理解する段階は必要なのだが、そこからもう一歩踏み込んで、自分で考えているという感覚を得られた。まるで対話の疑似体験をしているようで面白い経験だった。

内容に関しても、先生が生徒の質問に丁寧に答えてくれるように、一つずつ順を追って説明してくれるように展開していくので、読み進めていけば、自然と理解できるような仕組みができているように感じた。読書をしているはずなのに、会話のもつ力を感じさせるような、不思議な体験だった。

さて、ここから感想に入りたいと思うのだが、これがとても難しい。
僕は読書をするときに必ずメモを取っているのだが、今回この本に割いたページ数はおよそ5ページ。単純に多い。しかも振り返ってみると、一つ一つに様々な感想を持っているのだ。ここは大いに納得できる、共感した、本当だろうか、信じられない、この場合はどうなのだろうか、などなど......。一つずつ吟味していけば本当にきりがないし、自分自身そこまで整理しきれていない。つまり何が言いたいかというと、現時点ではこの本に対する総括的な感想を出すのは不可能だ、ということだ。

読書感想文を書きたいのに、感想が書けない。定義の段階でつまずいてしまっている。もちろん個別に見れば共感できる言葉もいろいろあったし、自分の世界が広がって、楽になった部分もたくさんあった。しかし、それと同時に、納得できない点や、自分の思考の癖など、考えることも同じくらい増えたように感じる。

この本の売り言葉のようなものに、

世界はどこまででもシンプルであり、人は今日からでも変わることができる

というものがある。「シンプル」。魅了的な響きだと思う。現在の社会は、思考、生活様式など、あらゆるものをシンプルに、簡単に、便利にしようとしている。それの恩恵は計り知れないし、実際僕も受けているものだ。だが、どうも僕はこの概念があまりしっくりと来ない気がするのだ。この本を含めた最近の読書を通じてわかったことなのだが、僕は何か一つだけを信じるということを好まないらしい。何においても、信じていない自分の存在を、自分の中に残したがる傾向がある。この本の帯に、

読んで変わった

というフレーズがあったのだが、ここの感じ方がそもそも違っている気がする。僕の思考パターンとして、何か新しいものが手に入った時、それと対を成す思考を入れ替えるという認識ではなく、相反するものでも同時に存在させておきたいと思うのだ。この場合、果たして僕は「変わって」いるのだろうか?このフレーズからは、「不可逆的な変化」のみに言及しているような気がして、納得がいかない。こういう思考をするから、あんなに多彩な感想が生まれて、結論にたどり着けない。だが、僕の考え方には果たして結論はあるのだろうか、とまた疑問が浮かんできて......。

なんとなく、感想がまとまらない理由がわかってくれただろうか。だが、知識として、新しい視点としてしっかり理解はしたつもりだ。結局、これも実践していって初めて理解というものになるのだろう。この本でも、アドラー心理学を本当の意味で理解して使えるようになるには、

それまで生きてきた年齢の半分

が必要になるという。ある意味僕のこの感覚は間違っていないのかもしれない(読書感想文としては致命的だが)。これからの人生の中で、その答えを見つけ出せたらと思う。

何度も紹介しているが、本当にお勧めできる。この感想文で魅力を伝えきれているのかが不安なところではあるが。皆さんも思考することの楽しさに浸ってみてはいかがだろうか。興味が出た方はぜひ読んでみてほしい。


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