
バカの、バカによる、バカのための…
――
見よ、サタンの集いに属して、自分はユダヤ人であると言う者たちには、こうしよう。実は、彼らはユダヤ人ではなく、偽っているのだ。
――
たかだか暗殺を免れ得た小男の一人の、高々と右手を掲げてみせたる絵面の与えし世にも低次の印象よりも、社会における個々の諸問題に対する一つ一つの政策と、それら一つ一つを丁寧かつ確実に現実たらしめるための法律の諸草案とをつぶさに検めてこそ、国家のリーダーたる者とは決定されべきはずであるというのに、
民主主義だか資本主義だか自由主義だか、はたまた共産主義だか社会主義だかグローバリズムだかなんだか知らないが、衆愚政治の極みたる米国大統領選挙とは、時も二十一世紀まで下ってなおのこと、ただひたぶるにバカの、バカによる、バカために与えられたる「印象」によってこそ選出せられ、決定せられてゆくのであろう。
まさにまさしく、世にも不快なガキの口喧嘩並みのディベートを突き交わした直後に沸き起こった、四流映画それ以下の醜事をば切り取りし、一枚の写真なんぞによって…。
が、
アメリカに限らず、日本に限らず、現代に限らず、おおよそ政とは、いつの時代のどの世界にあっても、このようなバカが担い、バカによって祭り上げられ、そのようにしてバカのための数えきれないほどのバカがなされ、そしておしなべてバカのためのバカの史話としてバカによって紡ぎ記され、ほかならぬバカの後裔のためにと、かくもバカバカしく語り継がれて来たにすぎない。
そのひとつの現代的証憑としても、劈頭の暗殺を免れて九死に一生を得たとされるドナルド・トランプなるバカであるが、こんな矮小の小男の右の手を突き上げたがとこの姿をもって、さながら神に祝福されたる使者のごとく祀り上げてやまない彼の支持母体たるは、福音派なぞいうキリスト教宗派の中でも至高のバカ一派にしてほかならなず、
これもまた他のありうるかぎりのバカ宗派のそうであるように、「イエス・キリスト」でも、「キリスト・イエス」でもなく、ただひたぶるに、バカたるてめえの「金儲け」のためにのみ血眼になっている世にもむくつけき結社であるばかりなのである。
すなわち、キリスト教福音派なるクソ溜め一派によって叫び上げられているところの主張の核心とは、
またそして、それらバカの支持母体のすだく声によって脅し唆されてこそ草された政策と法律の主眼とは、
ただひたぶるに、「ユダヤロビー」、および「イスラエルロビー」にこそ存しているのであり、
もはやいわずもがな、「イエス・キリスト」にでも、「キリスト・イエス」にでもあるはずもないのである。
そうであるにも関わらず、
こんなバカの極が高々と掲げた右の手に威光を感じた愚民惰民の類とは、こんな鼻くそにもしかに大言壮語の小男をばもって――そうでなければ目くそのごとき認知的インポテンツをもって――あたかも神に遣わされし指導者のごとく思い込み、思い込むばかりか声のかぎりに触れ散らかし、しかりしこうして、現代世界におけるもっとも強力かつ過激な政治経済軍事の神輿をば担ぎ出そうとしているのである。
それゆえに、
くだんのキリスト教福音派のような、もはや悪魔の一生ほど救いようのないバカ結社にいたって、ただ単に自分の身と心と思いとをもって自分の神に出会う術を知らないバカが、八方から寄り集まっては世にもミジメな猿真似アーメンをくり返す、生粋にして永世のバカ集会であるばかりでない、
正真正銘にして万古不易の詐欺師、泥棒、人殺しの蝟集と選ぶところがなく、
そして、まさにまさしくこのようなユダヤ教キリスト教に巣食ったバカと悪党どもとを指差してこそ、
かつてイエスは、「蛇よ、蝮の子らよ、どうしてお前たちが地獄の罰を免れえよう」と言って、断言してみせたのである。
であるからして――
アメリカであれ民主主義であれ資本主義であれ共産主義であれ社会主義であれ全体主義であれグローバリズムであれワンヘルスであれユダヤ教であれキリスト教であれなんであれ、
バカはどこまでいってもバカのまま、自分以上のバカをあくことなく担ぎ上げてやまないように、いつの時代のどの世界にあっても、豚の群れに乗り移るのはレギオンであり、滅びの器にもられるはただ滅びの子ばかりなりというふうに、あらかじめ定められているのである。
もう一度はっきりとくり返しておく、
トランプだかバイデンだかアメリカだかイスラエルだか知らないが、あるいは欧州連合だかロシア帝国だかチャイナ帝国だかもっと知らないが、ひっきょう、「ヘゲモニー」なんぞに血眼になっているばかりの、たかがバカの極北たるお前らなんぞに、いったい何ができよう。
民主主義にせよ共産主義にせよユダヤ教にせよキリスト教にせよ何にせよ、そんなものは、すべてなべておしなべて、天地開闢の昔から世界の終焉のその瞬間にいたるまで、あくまでもどこまでも地の果てまでも「人、人、人」の所業を越えるということはけっしてなく、
「人の知恵はすべてかえりみるに値しない」という言葉のとおり、あるいは「空の空、いっさいは空である」という言葉のとおり、
お前らごとき「人、人、人」のもくろんだ「バベルの塔」など、ぜったいにぜったいにぜったいに、完成の日の目を見ること能わない。
むしろどうして残念ですが、
「倒れた。大バビロンが倒れた。そして、そこは悪霊どもの住みか、あらゆる汚れた霊の巣窟、あらゆる汚れた鳥の巣窟、あらゆる汚れた忌まわしい獣の巣窟となった」という言葉のとおり、
政治経済軍事にとどまらず、文化文明歴史伝統慣習宗教においてなお(あるいは、おいてこそ)「ヘゲモニー」ただそれだけが欲しくてたまらない大バビロンたるお前たちの上には、イエスでもなければキリストでもなく、ただただあらゆる汚れた悪霊それだけが乗り移り、
比喩的にも逐語的にも「豚の群れ」として滅びと裁きの崖下へむかって、まっさかさまに落ちてゆくのである。
そして、もっとも悪いひとつ事とは、その時はすぐそこまで迫っているということだ…!
がしかし、
「もっとも悪い」というのは、ただただバカたるお前たちにとってのみそうなのであって、
かたや、けっしてバカでも愚かでもない、生まれながらにして終生徹頭徹尾、賢明かつまっすぐなわたしたちのような者らにとってみたら、それこそまさにまさしく「もっとも素晴らしい福音」以外のなにものでもありはしないのだ。
なぜというに、
すべてについて、神は必ず、裁き、報い、復讐する――
お前たちはお前たちの大好きな『黙示録』においてはっきりと語られた、たとえばこのような神の言葉について、「恐れ」ただそればかりを、その心に抱かせられる。
「恐れ」ただそれだけに身も心も霊も囚われればこそ、やれハルマゲドンだ、大患難時代だ、ゴグとマゴグだ、エゼキエル戦争だ、最終戦争だ、世界の終焉だなどと叫び上げては、まことしやかに無辜の民に信じ込ませ、
そうなりたくなかったならば、俺たちの教会でバプテスマを受けろ――
携挙されたかったならば、第一の復活に与かりたかったならば、千年王国でキリストと一緒に統治したかったならば、俺たちの宗派教義神学に聞き従って、俺たちの教会に献金しろ、寄付しろ、奉仕しろ、バプテスマを受けろ――
などというふうにして、自覚認識見当識の有無を問わずに騙り、惑わし、欺き、脅迫し、強要し、盗み取り、奪い取り、可視不可視の生き血を啜り取り、をくり返すばかりなのである。
そのかたわらで、
わたしの神イエス・キリストは、すべてについて、必ず裁き、報い、復讐する――
同じ神の言葉を耳にして、毛ほどの恐れも抱かないかわりに、「水が頭を越え、もう最期だと」と倒れたその時にあってこそ、復活の励ましと、勇気と、喜びと、希望と、信仰とを抱きなおし、強められ、確からしめられる、このわたしのような者たちとは、天使の吹く福音のラッパを聞き分け、聞き取り、聞き従う、幸いなる者ななである。
すなわち、天地開闢の昔から、母の胎内に宿るその先から、アブラハムの生まれるそれ以前から、イエス・キリストの者と知られ、キリスト・イエスの父なる神の子らとして選び分けられた者たちなのである。
なぜというに、イエスはお前たちのようなバカと悪党の罪のために流された、各時代の「血」のための裁きを、報いを、復讐をなすキリストであり、
それゆえに、イエスはキリストであり、キリストはイエスであるからである――わたしたちの、ただわたしたちのための…!
それゆえに、ただそゆえに、
今日もまた恐れおののくバカの子らよ――
騙り、奪い、殺し尽くす蛇よ、蝮の子らよ――
バカにしてむくつけきお前たちには、いかなる未来もなければ、救いもなく、たった一つの罪の赦しもありはしない。
あるわけがなかろう――バカにして汚らわしきお前たちの拠り所とする「切り傷にすぎない割礼」にも勝るところのない、「ガキの水遊びにも如かない教会のバプテスマ」なんぞをもってしては、路傍の虫けら一匹の罪をさえ赦すこともできなければ、蔽うことも、取り除くことも能わず、そこから離れ去ることさえできはしないのだから…!
ここにわたしの神イエス・キリストとキリスト・イエスの父なる神から言えと言われたまま、「たがねで岩に刻まれ、鉛で黒々と記され、いつまでも残るように」はっきりと言っておく、
罪を赦し得る権能を持ったたったひとりの存在とはイエスであり、
罪を赦し得る力を有したたったひとつ言葉とはキリストの唇からつむがれる憐れみと赦しの言葉であるばかりであり、
それゆえに、イエスはキリストであり、キリストはイエスなのであり――
それゆえに、バカの、あまりにバカのお前たちの宗派教義神学の、あるいは軍事政治経済の、あるいはまた文化文明歴史伝統慣習宗教の、いかなるヘゲモニーの内には、そんなたった一片の権限も、かそけき力も、存し得ないのである――と。
それでもなお、
それでもなお、
正真正銘の偽預言者にして、万古不易の偽りのユダヤ人たるお前たちは、お前たちの罪の大都バビロンによるヘゲモニーをこそ選好した。
選び、選出し、担ぎ上げ、祀り上げて、お前たちの「神」とした。
それゆえに、
さながら「金の仔牛」のごときその神と共に、お前たちは完全かつ永遠かつ不可逆的に、滅ぼし尽くされてゆく。
イエスの、キリストの憐れみと赦しの言葉よりも、
さながら「非常に高い山の上から見せられた、世のすべての国々とその繁栄ぶり」のような宗派教義神学の、軍事政治経済の、文化文明歴史伝統慣習宗教のヘゲモニーに心奪われて、お前たちはお前たちの身と心と霊とをひさいでしまったのだから、
「主なる神に捧ぐべき戦利品を掠め取ったアカン」のごとく、お前たちはお前たちの家族親族に至るまで、たったいっぺんの憐れみもかけられることなく、徹底的に、あまりに徹底的に滅ぼし尽くされてゆく。
すなわち、
「暗殺」は免れ得ても、「イエス・キリストの裁きと復讐」は、絶対に免れ得ないのだ…!
すべて「イエス・キリスト」でもなく、「キリスト・イエス」でもなく、
血塗られた宗派教義神学の、軍事政治経済の、文化文明歴史伝統慣習宗教の「ヘゲモニー」をば選び取ったまつろわぬ民よ、
バカの、バカによる、バカのためのバビロンの支配と繁栄を急ぎ、追求し、押し広げんとたばかり続ける、むくつけき指導者たちよ、
お前たちには、もはや弁解の余地はない。
時は迫っている――
しかしお前たちには、もはやいかなる弁解の余地も、ありはしない。…