スネイプ先生の心の中のリリーは生きている?
こんにちは
今日はスネイプ先生の心の中について考えたことがあったので書きます。
なお、ハリーポッターシリーズやタイタニックの結末をまだ知りたくないという方はブラウザバックをお願いします。
スネイプ先生の心の中に居たリリーは生きているのか?
最近、『タイタニック』を観直しました。
ラストのローズの決意にあふれたひと言が印象的です。
(名簿に)名前も、そして写真も残っていないジャックは、ローズのなかで生き続けることになるのです。
主題歌『My Heart Will Go On』のなかでもそのように読み取れる一節があります。日本語部分は自分なりの解釈です。
そこで思ったのが、スネイプ先生の心の中に居るリリーについてです。
映画シリーズを観ることが多く、このnoteでは主に映画について扱おうと思っているのでこの話は映画での彼をメインに考えています。
原作については、読み直した時に同じテーマで考えたいと思います。
ローズは目の前で最愛のジャックを失います。そんな彼女は、自身の心の中にジャックが"居る"ことを支えに彼とともにその後の人生を歩んでいったのだと思います。ジャックとの約束もありますから。
では、スネイプ先生はどうでしょう。
ローズとスネイプ先生の立場のちがい
そもそも、ローズとスネイプ先生は立場が違います。
同じ土俵で考えるんじゃない!と思われる方もいると思います。
おっしゃる通りです。不快に思われたらすみません。
ローズとジャックは互いが最愛の人という関係での別れでした。
一方リリーとスネイプ先生はそうではありません。リリーにはジェームズとハリーが居ますし、スネイプ先生もそれを理解していたと思います。
ただ、心の中に好きな人が生き続ける状態というのは現実の関係がどうであれ可能な気がするのですが、私の中でスネイプ先生の心の中に居るリリーは「思い出の再生」に近いのではないかと考えます。
生き続ける状態と思い出の再生の違いは?
では、スネイプ先生以外の心の中のリリーも思い出の再生なのかと考えるとそれは違う気がしてきます。
例えば、ハリーの心の中に居る母親としてのリリー。
記憶はなくても「そばにいる(生き続けている)」という状態に近いと思います。死の秘宝の蘇りの石のシーンを思い出しますね。
また、シリウスの名言もこのトピックを考えるうえで興味深いものです。
シリウスの言うように、最愛の人と遠く離れ実際に触れることのできる距離にいなかったとしてもそばに感じることはできると思います。
スネイプ先生の心の中のリリーが「思い出の再生」に近いと考えたのは、彼自身がリリーに愛される資格がないと思っている可能性が
考えられるからです。
またもう一つの理由として、リリーの死を克服できていないことから「彼女はもういない。死んでしまったのだ」という考えの渦にとどまっていることも考えられます。
夢の中で、リリーに会いに行っていたのか?
『My Heart Will Go On』のAメロの部分にも着目してみます。
日本語部分は自分なりの解釈です。
ここで、心の中の「あなた」とは夢で会い、生きていることを確かめているような描写として受け取れます。
スネイプ先生は夢の中でリリーと会っていたのでしょうか。
まず、彼自身が夢をみるイメージが出来なかったのですが
リリーのことを想いながら眠りにつく時にだけ、記憶を回想していたのではないかと考えます。
夢を見ていたとしても記憶に基づいていて、決して彼自身に都合の良いような形(リリーと会話する等)ではなかったと想像しました。
終わりに
今回は、タイタニックを観直した時にふと思ったことについて、
深堀りしてみました。
自分でも想像以上に長くなりました…
薄っぺらい言葉ですが、
愛って考えても考えてもわかんないですね。
読んで下さり本当にありがとうございます。
皆さんの思うスネイプ先生の心の中のリリーについて知りたいです!
もしよろしければ、コメント欄でお待ちしております。
Twitter(X)もやっておりますので交流出来たらいいなと思っています。
今回はこのへんで…
ここまで読んで下さり本当にありがとうございました。
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