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ところで自尊心はどうだい?という話


自尊心ってなんだろう

自分で自分を客観的に分析すると、私は自尊心はかなり高い方だと思う。自分のことを尊い存在だ、などと思ったことはないけれど、すくなくとも自分を信じる力はソコソコあるように思うのだ。
その自分を信じる、というのは、「信じよう!ワタシ!」みたいにアタマで考えるモノではない。「やってみよう!」と、おもったとき「やってみよう!」と素直に一歩踏み出せる力だ。(人の目を気にせず、自分を尊重してあげる力)
私は異業種から転職組のコピーライターだ。それまでは制服をきたいわゆるOLさんで(もうどこにもいなくなった印象がある)、昼休みにバレーボールこそしなかったけれど、9時17時のフツーの会社員だった。
その私がある日突然、コピーライターという肩書きを持った。これは自尊心が高くなかったらできてない。
異業種からの転職組、というのはみなさんがもっとも興味を持たれるところらしく、「どうやって?」という話の取材をうけた。それこそかなりの数、いただいた。でも「よく踏み出せましたね!」と聞かれたことはない。そっちのほうが、悩んでいる人が多いのだ。実は。

みんな「踏み出せない」のがもんだいだったりするのだ。

でも私は踏み出せた。
それは、なぜか?自尊心が高めだったから。だ。
もちろん、私もリサーチせんとして最も信頼の置ける母に聞いてみた「転職しようと思う。コピーライターに」と。すると母は「あら、向いてるわよあなたに」と即答した。なるほどじゃあ、やってみるかと転職活動をした。
このことがどうして私がコピーライターになったか、の本質だ。
そのときは「もうコピーライターになること」はほぼ決めていたので、必要なのは踏みだすこと、だけだった。背中を押したのは確実に母だ。
その母にずっと時間が経ってから、聞いたことがある。「なぜそう言ったのか?」。すると、母はちゃんとそのときの話を覚えていて「あなたの言葉はすとんと腹落ちするのよ」と言った。なぜそう思うのかとさらに掘り下げて聞いてみるとちゃんと理由があった。学生時代に中米ばかりひとり旅していたとき、毎日絵葉書を送っていたのだ。そのハガキの話を見るたび、そう思ったと伝えてきた。
そんなこととはつゆ知らず、その後わりとすんなりと、ちいさな会社のコピーライターという肩書きを得たので今に至る。ついでを言うなら、私はすこぶる運がいい。
自尊心の話に戻そう。

自尊心が高いと「ひとは踏みだせる」。これに尽きる。

言い方を変えると、これは「思い込み」の話だったりする。私はわりと思い込みも強い。これはプラスにもマイナスにも働くが、ポジティブに働いたときはすごい威力を発揮する。
コピーライターになるまでは、
あの短い言葉でしょ?それなら私にもできる。

なってからは、
TCC新人賞?もちろんとるよ、とるとる。30才までに! 
などという生意気なことを当然のように「思って」いた。

TCC新人賞とは?
東京コピーライターズクラブの会員になるために必要な賞。コピーライターの登竜門的なもの。同業者に認められ、ちょっとだけ仕事の幅が広がったりする。ちなみに、私がとったのは32だった。(転職は24)

自尊心は、自分を信じる力なので、思い込みも生むし、生意気も生む。生意気にしてると軋轢を生みがちなので、それは言葉に出さなければ良い話だ。
ただ、したたかに、じっとこころの中で思って(信じて)いるのは自由だ。
でも現実はきびしい。
辞めよう、と思ったことはなかったのですか?と、その取材でもよく聞かれた。
書けないわ、なかなかコピーは通らないわ、直されるわで、ほんとうにきびしかったから。
あんまりないなあ、と答えてきた。それもまた「楽しんで」いたから。これは自尊心に意識が向かっているから出てくる言葉だ。

自己肯定感に意識が向いていたら、まったく返答は違ってくる。

もしも自尊心に意識が向いてなかったら、辞めたくなりますよ。いっぱいありましたよ。という回答になるだろう。
実は私は自己肯定感は、かなり低い。ここで言葉にすると萎えるのであえて書くことはしないがいわゆる「コンプレックスの塊」だ。

だから自己肯定感については「考えないようにしている」。

なにより自尊心が高いので、それが高い思い込み「できるにきまっている」を生んでくれているので「そんなことにかまっているヒマがない」。そのくらい忙しかったし、当時はちゃんと書けるようになりたいということに注力していたので。
そもそも自己肯定感って、インチキな言葉だなと思う。(自己肯定感という言葉よスマヌ)
だって、高低があるからだ。ツライ仕事が続けば、辞めたくなるし。新人賞をいただいたときは最高だと思うわけだから。そんな曖昧な話ったら、ない。若者よ、そんなのに振り回されるな、と今は年を取ったので言う。なので、自己肯定感になやんでいるなら、自尊心という「新しい価値観」を一つ加えてほしいと思う。
自尊心が高ければ、まわりに振り回されることがない。だから、「自分がこれだ!」と信じたものにまっしぐらに進むことができる。
もしも自尊心が低い、と思うなら、自分が自分を信じられるような言葉(自分キャッチコピー)の鎧を持てば良い。こういう言葉は、いくつも持つことができるので、いくらだって強固にしていくことができるのです。

「わたし自尊心は高いです!」と、とりあえず言っておく。

あとは、こんなふうに自分を決めてしまう、というのも一つの手だ。日本語には「言霊」というものがあるので。どんどん言っていくと、不思議とだんだんそうなっていくものなんですよ。ほんとです。

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