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映画感想:キンザザ


前印象及び視聴の背景

 久しぶりに心身ともに余裕があり、primeで無料で見ることができたので、見てみた。
キンザザというと親世代のサブカル系ソ連映画程度の印象しかなく、余り興味がなかったのと見る媒体がなく長らく見ていなかった。サブカル女子でたまに好きな人がいるらしいが、どちらかというとサブカルおばさんの方が多いのでは無いかと思った。

以下は、視聴した感想を書く。当時の背景・文脈云々はあまり詳しく無いのでそういうのを除いた純粋な映像を見た時に思った感想を書くつもりでやる。内容の説明などはしない。まぁ、大部分は既に言語化されている感想と同じだと思うが、自分の備忘録までに。思ったことを書かないと忘れる。

映画は無限にあるが、全く自分の行動は有限的すぎてまだまだ見ていない名作が多く、呆れてくる。

雰囲気について

 この作品を通しで見た時感じた雰囲気だが、やはり他の感想と同じように、眠くなるような気の抜けたゆるい雰囲気が特徴的だと感じた。特にそう感じさせるのは、無音とBGMの使い方から来ていると思う。
笛らしき音と何かの打楽器を緩やかなリズムで刻む音楽や、どうぶつの森で流れてそうな音楽が、何をしていても気の抜けた雰囲気を演出していると感じる。そんな中で異星人たちの滑稽なポーズややりとり、謎に落ち着いた地球人側の必死な行動などが流れていると、よりシュールな笑いを誘う。
実際途中で必死にバイオリンを引き、現地人がそれに合わせているところやステテコがどうのと言ってるところでは、コイツら何してんだと思わず笑いながら言ってしまった。

 しかし同時に謎の緊張感もあった。中盤くらいまでは眠くなりそうになっていたが、最後の方は気の抜けた感じに反して自分は謎の緊張感を覚え、食い入るように画面を見ていた。終わりも割と突然で何だか上手くいったようだが、見終えた後の落ち着きはなく暗い面持ちが抜けなかった。

思うにこの二面性が特に面白さを感じさせているのだと思う。全体を通して緩く気の抜けた雰囲気なのは演出や役者の演技や設定のおかげで、内容自体は割とちゃんとSF的なシリアスさが通底している。
その為、変な脱力感と笑いを誘うと共に、最後までしっかり試聴させるような緊張感も同時に感じていた。

実際内容自体はシリアスだった。次のシーンにはいつ異世界の理不尽な常識に晒され、絶望的な状況になるか殺されるかが分からない。やたら強気な主人公達の行動もありヒヤヒヤする。緩い雰囲気からそれは無いだろうと思うだろうが、描写だけみればかなり恐ろしい。インターステラーにもあるような
壮大だが理不尽な星々の恐怖はこのキンザザ星雲にもあった。

これら二つの絶妙なバランスとカットが、この映画がソビエトで作られたという事実を納得させた。
(そんなことを言っておきながら、ソビエト映画については詳しくないが…)
少なくとも「サブカル的」というのは納得だった。一般的なアメリカ映画には無い雰囲気なのは間違いない。


人物について

 登場人物たちはとにかく個性的だった。
主人公のロシア人、グルジア人、ハヌード生まれのパッツ人、チャトル人である旅芸人2人。彼ら4人が主要人物だが、全員アクが強い。

・ロシア人ウラジミール

何かと話題の大統領と同じ名前の中年男性。兎に角顔が整っていて、いかにもな白人男性といった感じで終始顰めっ面をしている。(スラブ系は白人ではないという意見は受け付けない。自分はアジア人なので正直皆同じに見える)
彼は序盤いきなり意味不明な状況になっても異常に落ち着いており、行動を起こすのが早い。無理矢理自分の常識で今の状況を理解し、納得させるなど、常識人枠のように感じた。

ある程度の教養はあるようで、間抜けな彼らの行動や見窄らしい格好を見て、やたら強気に文明国ムーブをするせいで話が拗れることが多い。
バカにするのはわかるが…
後述するが異星人達も決して信頼できる人間では無いし、実際腹が立つのだが、少なくとも全く見知らぬ状況で殆ど郷に従わない後先の考えなさは凄い。事実彼らを信用せず見事にカモられ貴重な切札を失ってしまうところは思わずアチャーと言ってしまった。自分なんかプライドないからとりあえずクー!とかしとけばいいのにと思った。

中盤から後半にかけて異常な適応性を見せ、序盤が嘘のように柔軟な対応ができるし機転も効く。今の自分の環境で分かるが、彼の柔軟さと逞しさが羨ましい。ただ今度は相方の青年が暴れ出すため結局上手くいかないことが多い。

また、変に義理堅いところで驚いた。ロシア人は義理堅いというアピールの為だろうか。何度も裏切られているのに最後に自分のせいで彼等が囚われたというだけで帰るチャンスを放棄する。
(それも元々は旅芸人連中が逃げたせいだけど…)
そのせいでどん詰まりになり、そんな彼もついに最後では絶望し心が折れる。それまで顰めっ面でたくましかったのに対してその時の演技が素晴らしかった。流石に地球に帰ることの方が重大すぎて、彼らは死刑じゃ無いんだから帰れば良かったのに…と自分は思ってしまった。

・グルジア(現ジョージア)人ゲデバン

彼について一番語りたい。ギョロ目のグルジア(字幕に従い旧名で記載)人青年。とにかく手癖が悪く、おーい!となるところが多かった。しかし同時に理不尽に登場人物達にバカにされ、気の毒さも感じた。

最初は彼の方が常識人枠だと思っていた。主人公がロシア語しか喋れないのに対して母国語やロシア語はもちろん、英語もフランス語も喋ることが出来る。ドイツ語やトルコ語も齧ってはいるようで、羨ましい。対応も、ツァークをつけろと言われた時に跳ね除けるウラジミールに対して現地人を刺激しないように提言する。初見で人種差別に批判的な発言を見せるなど、理性的に思った。
ウラジミールが知らない太陽系の星をある程度わかる(逆に彼は何故か大熊座だか分かるのだが)など、基礎教養も相対的にありそうである。
また、旅芸人2人に脳を読み解かれチェスで巻き上げられるものの、別のことを考えながら一手を打つというダービー弟も真っ青な並列思考で彼らに勝つ。

間違いなくマルチタスクで仕事ができるし自分にとっては本当に羨ましい限りなのだが、何も出来ないバイオリン弾き(しかもバイオリンは弾けない)とやたら現地人達に馬鹿にされ、捨てられたり煽られたりと気の毒になる。この様な対応が強調されるのは彼のルーツが関連していると推測しているが、ここでは割愛する。

そんな訳で気の毒に見えたが、彼自身とにかく手癖が悪く、自業自得な側面も感じた。やたら人のものを盗むし、中盤から後半にかけては馬鹿にされ続けて腹が立ったのか強気な姿勢や発言を繰り返し、ヒヤヒヤさせたりトラブルを起こしたりする。

異星にいた証拠を持ち帰りたいのか、やたら物を盗む。スプーンや認識クリスタル、果ては地球に帰るためずっと探していた加速器も知らずに盗んでいる。最後のは結果的に話が進むきっかけになったけど、普通にダメだと思う。

手癖のせいで旅芸人には終始バカにされパージさせられるし、折角軽いノリで地球に電話できるのに物を盗んだせいで相手の機嫌を損ねて自分だけ電話できない。それだけでなく、中盤以降は前述の通りウラジミールが慣れた対応をしているのに対して彼は挑発的な発言を繰り返しトラブルを生みがちな印象を与える。

後半はエツィロップ(警察)に反旗を翻すのだが、きっかけはバカにされて我慢ができなくなった彼の挑発によるものである。エツィロップが圧倒的な暴力兵器を持つのに対して既存の権力構造に依存しすぎて攻撃性に乏しかったから良かったものの、その場で真っ二つになってもおかしくない怖い行為だった。
(まぁ状況的に憤っても仕方ないとは思うけど)

力を手に入れてからは露骨に強気で、従順な人間で遊んだりするシーンも見受けられる。追手が来るためすぐに逃げる必要がある場面でギリギリまで構造物の一部を持ち帰ろうとするなど、欲深さが目立つ描写が多い。

総じて、知的好奇心を含めた欲に正直な人間臭さがある。シャイロック…とは少し違うが、彼のルーツに拠った当時に感じる「リアルさ」を出しているせいだろうか、良くも悪くも彼の印象が強く残った。


・旅芸人のビー(パッツ人)とウエフ(チャトル人)

ルイージとマリオみたいな2人。
ビーがパッツ人でウエフがチャトル人で2人で旅芸人をして日銭を稼いでいる。まぁ踊り子や吟遊詩人みたいなもので何となく立場が低いことは見てわかる。

権力構造で言えばチャトル人>>パッツ人らしいのでビーよりウエフの方が立場が上のようなのだが、全体的にウエフの威厳がなく小物なのに対して、ビーが理性的でロジカルな話し方をして彼の世話もしているような描写が多く、ビーが意識的に既存の権力構造に依拠しているように見えた。

彼らは模範的ブリュク星住民で、めざとく狡猾。
地球人側は何度も裏切られるのだが、前述したように地球人側も大概なので、通して見ると彼らはこの星雲の中ではかなり優しい人間なのでは無いかと思った。徹頭徹尾利己的だが、特にビーは最後に情らしきものを見せるし、ウエフも格下であるビーや地球人の暴言や失礼な行為を受け流したり、先に対価を渡すのが当たり前の世界でそんな彼らに水を(マッチのツケ前提だが)渡すなど、変にフラットなところがある。

要は、フラットだと感じた。「自然」なのだろう。彼らはありのままの状況を受け入れる。徹底した差別と利己主義と既存の権力構造への依存をしているが、暴力性や排他性が低い。
そんな彼らの素朴に見える滑稽な行動や発言や演技が、やってる行為に対して不快感を減らし笑いを誘っているのだと思う。

物語の終盤で、何故か靴下男と帰宅しなかったことを知っているウエフが彼らの義理堅さという概念を全く理解できない描写があるが、同時に歩み寄ろうとしているシーンもある。自分もグルジア人だというシーンは意味が汲めなかったが、要は彼らのことを理解しようとして話してもらおうと彼のルーツを出したのだと推察した。そういう行いも、素朴なフラットさから来るものなのだ思う。
まぁ、単に貧乏で現実的な立場が低いからそういう事を強気で出来る余裕がないのかもしれないが…良くも悪くも彼らは人間である。善悪もない、フラットな人間だと思った。

自分はそこまで頭の良い学校や環境には居なかったので、学校時代の同級生や、夜間のバイトなどでたまに出会う全く毛色の違う人達と話すこともあった。彼らのうち一部は偏見や凝り固まった彼らの常識もあったが、ヘンテコな私を表立って否定したり拒絶したり馬鹿にせず、こちらが歩み寄りを見せれば素朴に会話をしてくれた記憶がある。そういう時に感じたフラットさを、この2人からも感じた。

彼らの性質については設定への感想にも関わってくるので後述する。

設定や内容について

 最初に述べたように、気の抜けた内容に対してしっかり設定はSF的である。最も、純粋なSF的設定は大分大味で嫌に現実的なのだが、SFといえば現実への皮肉もセットみたいな所もあるので…
とにかく、非常に興味深く感じた。

実のところ、分かってないところも多い。作中で完全には説明されないから。だがとりあえずの大枠は話の中で分かる。

まず、タイトルのキンザザが実は星雲のことであるのに気がつくまでかなりかかった。主人公達はキンザザというが、正確にはキンザザ星雲のブリュクという星が舞台らしい。分かりにくい。

異星に行く理由になり助けにも来た靴下異星人はベータ星雲出身らしく、位置は不明だがキンザザ星雲
付近だろう。
地球とキンザザ星雲の間にはアルファ星があり、星間飛行における銀英伝のフェザーン的な位置を担っているようである。
恐らくアルファ星はキンザザ星雲の中の辺縁に位置するのだろう

従って、ブリュクに住んでいる旅芸人の2人はブリュク人となるはずだが、実際にはチャトル人とパッツ人という立場で別れている。元々キンザザ星雲にはチャトル星(?)があって、ブリュクは恐らくチャトル系の植民星なのだろう。ただ、よく分からないのが、実際には旅芸人の2人の出身はハヌードという惑星らしい。だが彼らはハヌード星人ではなく、あくまでチャトル人とパッツ人であるようである。

しかし、ではこの星雲ではチャトル人とパッツ人の立場が強力で絶対的な階級性を持つかと言えば、そうでも無いように見える。作中ではパッツ人のビーとチャトル人のウエフがしょっちゅう言い争いをしてるし、パッツ人のビーがブチギレてチャトル人のウエフをバイオリンでぶん殴るシーンがある。
暴言もしょっちゅう言われるが、ウエフも別に激昂したりはしない。ビーと一緒に砂を投げられたりするし、そもそもの社会的立場の低さが優先されるようである。同じチャトル人でもステテコ有無で立場変わるらしいし、トップのPJはパッツ人らしいし…

しかも、星によって立場が変わる。ハヌードはパッツ人の星らしいので、そこにいる場合は立場と要求される振る舞いが全くの逆になる。ハヌードは無人で社会的拘束性など無いのだが、ウエフも馬鹿正直にそれに従う。なんというか、空虚だと思った。

挙句、アルファ星人には「キンザザ星雲人」と一緒くたにされている。ハヌード生まれだとかチャトル・パッツだとかは全く関係ない。

まぁ、描写的にどう考えても皮肉だし、正直現実の歴史をぼんやり知っていればわかる話ではある。
要はユダヤ人とアーリア人、黒人と白人みたいな欧米にありがちな社会的差別概念をアイロニーを含ませつつ表現しているのだろう。
(パッと見で区別できない分、前者に近いが…)

ウエフについても、相対的に自分の立場が悪いプアホワイトの中年〜老人が昔は黒人の立場が低かった癖に、今じゃ随分偉そうだなと別の人間達にいじめられながら阿Q的な卑屈さでぼやいていると考えればすぐ理解できる。
上記のハヌード云々に関しても、恐らくパッツ系の植民星で、彼らは移民二世とか三世とか、そんな感じで理解したらすぐわかる。
ただまぁ、あまり制作背景とかの話に絡めてもよく知らんのでこれ以上は言及しない。そんなこと言ったら全部それで説明できるし。

 その他、印象に残ったのは彼らの文明レベルだった。キンザザ星雲人達は基本的に見窄らしい見た目と滑稽な文化で、使うものや建物もなんだか原始的で、倫理観も低く利己的、とどう見ても未開人に見えるような描写を強調されている。地球人側もそれを見てかやたら対等かそれ以上の目線で話が進む。どう見ても「未開人」なウエフに「未開人」呼ばわりされるところはシュールなアイロニーを含み笑いを誘う。

しかし、実際に「未開人」なのは事実だけ確認すれば紛れもなく地球人側だ。彼らはそもそもテレパシーで思考を読める上に、明らか底辺層の連中でも皆他の惑星の言語をそれほど時間をかけずにほぼネイティブレベルで操ることができる。行動は間違いなく間が抜けているのだが。。
キュー!が罵倒語、クー!がそれ以外全ての表現という説明は馬鹿馬鹿しくて笑いを誘うが、彼等がノーリスクでテレパシーを使える為余計な言語は不要という前提を考えると、途端に高度な合理性を感じさせる。
(ある意味、ガンダムの原始ニュータイプ論の局地なのかもしれない?)

資源についても、既に地表の海を使い果たすくらいには高度な文明が進行しており、星間飛行もオンボロな銅鐸みたいなレベルの入れ物で中の人体に一切影響なく高速移動が出来るらしく、技術的にはどこでも行けそうな感じである。
地球のピンポイントな相手へのラグのない電話という超高度なことを、ウェイストランドのスラムにある雑貨屋のおばさんみたいな人がたった1チャトルでさせてあげるくらいにはレベルが高い。しかも超ローテクな見た目で。見たところ整備性も良さそうである。彼らはただ純粋に見た目に拘らないだけで、やってる事はかなりハイテクである。

星間番号であらゆる星が管理されているようであり、地球人サイドはその番号は知らない。ブリュク含むあらゆる異星は皆この番号が常識なので結果的に地球人だけが完全に取り残された未開人という事になる。しかも彼らは番号が分からなくても近くにある星を地球人の言語で思ったら言うだけで特定できるらしい。

そうしたレベルの差から見える余裕というか、暴力性の低さとフラットさみたいなものもある。恐らく、前述したフラットさはこうした彼らの進歩性からも来るものなのだろう。
王道なSFにある絶対的上位者としての余裕みたいなものが、アルファ星人に「深刻な貪欲病」と称されるキンザザ星雲人にもあるように見えた。

実際皆異常なほど社会的な構造に従順で、恐ろしい力を持つ警察側もその構図に依存しており、それに反旗を翻す連中を想定していないのかすぐに屈して超従順になるし、トップのPJも遊び呆けて謎の闖入者に強く言われるととぼけた顔で言う通り従順に従う。武器を持っていても俄然キンザザに詳しく無い田舎者の彼らにとって不利な状況は変わりなく、やろうと思えばいつでも彼らを殺せるし逆転できるのに、全くそういうそぶりを見せない。
こういう描写はあまり彼らの暴力性を感じさせない。
序盤で世紀末みたいなゴロツキ連中にウラジミールが巻き上げられるシーンも結果的に砂で生き埋めにされそうだったが、そもそもそんなことしなくても明らかに慣れてなさそうな変な見た目のこちらの流儀に従わない人間が1人でホイホイ来たのだから、殺すか袋叩きにしてしまえば終わりそうだと思った。
パッと見似てるように見えるマッドマックスやfallout世界だったら間違いなく殺されてると思う。(※繰り返すが現実への皮肉は考慮しない)

キンザザ星雲人からしたら、地球人の方が滑稽で既に久しく彼らが使わない複雑な言語を喋り、変な見た目をしている。しかし彼らは普通にロシア語を理解し話してやりつつ地球人の容姿は全く意に介さない。彼らのルールさえ守れば(守らなくても)警戒はするものの不審がらない。地球人側は不審がり、奇怪な目で彼らを見たりするのに対してである。

従って、地球人サイドの視点で汚く見窄らしい奴らが自分たちを客観視できずに地球人をバカにしつつ笑いを誘う間抜けな行動をする感じの描写に対して、現実の状況は世間知らずの珍妙な未開人がやたら上からの視点で彼らと接して合わせようとし、彼らがそれを事実バカにしながらも受け入れてあげているというアイロニカルな構図になっている。
(でいうかこれが事実なのだが…しかも物盗んだりして迷惑かけてるし…)
それもまたシュールな笑いを誘い、面白かった。



総評その他について


全編を通して感じたのは、「リアルさ」だった。
SF的なリアルさというのではなく…上手く言語化できないが、人間の行動や描写にリアルさを感じる。
どこからどう見ても「人間」な異星人たちの仕草は、他の感想にもあるようにどちらかというと異文化コミュニケーションの方を彷彿とさせる。
そういうリアルさから生じる印象のズレが笑いを誘う時があれば、普通に絵面が馬鹿馬鹿しすぎて笑える時もある。しかし謎のsf的緊張感や侘しさもあり
そのバランス感覚が絶妙にちょうど良いと感じた。

また、異文化コミュニケーションという観点では痛いほど内容に共感してしまった。日本にいるとよく分からなくなるが、大陸の人間の大部分はこういうリアルさがあるのだろう。それは別に悪でもなんでもなく、楽しんで適応しようとする人たちには、外の世界はかなり自由だし美しく見える。
ただ、そうでなく「日本人」として来る人やその集団に所属してくる場合、序盤のウラジミールではないが自分からギャップを作っていき、そこから生じるギャップが更に負のループとして感情に蓄積して、決定的な感情に繋がることになる。
実際にその場では自分側が未開人なのに。
頭の痛い話だと思った。

書く為に内容整理していて思ったが、この話はびっくりするほど内容が引き伸ばしにされている。
文字にして整理すると2時間半ある映画にしてはかなり内容がない。
その分描写に時間を割いており、実はこの作品はそういった描写を書くことにフォーカスしてるのではないかと思った。

あと地味にカットについても好きだった。映像のハウトゥーについて詳しく無いのだが、この作品のカットの仕方はかなり好きだった。b級特有の低予算から来るものなのか(冒頭のカメラ移動などかなり低予算感を漂わせる)知らないが、このカットが逆に侘しさやテンポ、緊張感などの全てを支えているように思った。
これがソビエト的な作り方なのかもしれない?

以上、取り急ぎ思った内容を言語化してみた。


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