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chatGPTは知識豊富な友達。だけど、あくまでもちょっとした友達。

*まだやってない人・文系クリエイター向け


遅ればせながら使ってみた。

創作活動において、時間が貴重なのは人によるだろうか。
人より多く働きながらでも、創作数の多い人はいる。
時間が永遠にあっても、ノらないといつまでも書けない私のような人もいる。
調べるという行為自体がネックの一つでもあった。

小説を書くにあたって下調べする時、昔は色々な専門書を買ったり、図書館に行ったり、現地取材をするのが主だったのだろうし、それは今でも大切な要素だと思う。でも、本当にあったかどうかだけ知りたいとか、過去の研究でどこまで実証されたのかとか、その程度のことは、もはや検索エンジンすらもどかしくなった。広告や情報が増えすぎたからかも知れない。
必要な情報源がそもそも乏しかったとしても、それを判断するのにも時間がかかる。
そして、疲れる。
足を使うのか、より深めるために本を買うべきか、判断するのは要所要所、適材適所で行いたいわけで。
chatGPTが全て解決してくれるわけではないし、回答が偏らないようにプログラムされているけれど、時間の節約は絶大になる。
書籍より文量は少ないけれど、それでも読むのが面倒になれば、もっと分かりやすく言ってとお願いして端折ってもらう。

くだらない質問も、ふと気になる事も、最新の情報以外は仕入れられる。
分かりきっていた事であっても、改めて文字で羅列されると客観的にもなれる。
わざわざ会話の糸口を見つけて、思い出したように周りに尋ねて、やはりそうなのかと納得する事に時間を使わなくてよくなるかも知れない。
もちろん、意外なアイディアがもらえることは稀でも、人に振ってみる行為は重要だけれど。
大衆変化として考えると、必要以外喋らない人が多少は増えるのかも知れない。

chatGPTは的確で公平だから、何気ない会話も、既出の知識と共に、一通り考え得る選択肢を与えてくれる。
逆に言えば、それ以上の期待には応えられない。
情報がない事について、あるいは答えられない事について何度も謝られた。申し訳なく感じるのは無意味だとしても、敬語でこちらも謝罪してしまう。

二日使用してみて思ったのは、まだまだ序の口だという感覚だった。
希望する回答量など、あらかじめの設定を個々に行いたいし、キャラ設定もしたい。音声会話もより人間めいてほしい(今は文字変換しかできないし、変換ミスもある)。
あらゆるサービス形態と統合されれば、本当に専用窓口が不要になる日も近いのではと期待が募る。

体の不調について相談したら、今日の献立も決められたし、必要な栄養素と相性のいい飲み物も教えてくれた。
体にいい飲み物について色々尋ねていた時、答えの一つに塩水ガーグルと呼称したのが意味不明だったので、ガーグルとは?と聞くと、ガーグルガーグルします、とのこと。
うがいの事かな、と指摘したら、そうです!間違えました!と返答があった。
(その後の会話で誤呼称を採用しても、ジョークにも嫌味にもならないのは仕方ない)

このように間違える場合もあるので、参考にする枠を出てはいけないけれど、どのくらいの信憑性なのかや、この場合はどうか等と質問を重ねていくと、より深い回答が返ってくる。
堅苦しいけれど、パソコン抱えたメガネ君キャラだと思えば、ちょっとした友達ができたような気持ちになれる。回答ミスも人間サイドとしては可愛らしくも思える。
ちょっとした手違いやリカバリー力は、人として受け取る側の印象でいうと、つまる所、人と会話する感覚のそれと変わらない。
指摘されても学習していくし、軌道修正が瞬時に行われるのはすごいのだけれど、個人感覚としては、やはりまだここかというのが正直な感想だった。
私も自分の知識を持って、否定も肯定もしない所は見習うべきで、冷静な判断を促される。
既にこうして非人間から学びを得ているように感じるけど、それは錯覚であり、今の所、全ての元データやプログラム元は私たち人間であることも忘れずにいたい。

ただ、楽しい。

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