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世界にこれを超えるもの無し

昨日は久しぶりに横須賀へ参りました。 驚異の細密表現展 | 展覧会 | 横須賀美術館 (yokosuka-moa.jp) を観に。ここで、本当に驚く作品に出合いました。江戸・明治の工芸というところに惹かれて足をはこんだ次第でしたが、改めて日本人の眼と手の能力の高さに、沈黙してしまいました。

開港場であった横浜からは、生糸をはじめあらゆるモノが輸出されました。
先述しました原三渓は、その豪商でした。繋がっていた|美恩 (note.com)
横須賀美術館には、輸出用の彫刻洋家具(横浜家具)、陶磁器の横浜焼などなど、様々なものが展示されていました。あまりの精巧緻密さ、その安定した美しさに「これは横濱ブランドなのだ」と感じました。
よく、「今はもう製作できない」という言葉を伝統工芸で耳にしますね。なぜ技術産業の進んだ現代でそんなことが、と一瞬思いがちですが、あの理由は、きっと後継者や資金不足などよりも、本当は現代人の”美を現す”までの忍耐力と、作品製作までの何かしらの犠牲を払う情熱の不足なのではないかと思います。
その点こそが、どんなに高価なブランドアイテムもジュエリーも「日本の工芸品にはかなわない」ところなのです。いえ、本音をいうと、おこがましく、比べることさえ間違っていると思っています。

展覧会で「高浮彫り」と「宮川香山」の名前を完全にインプットしてしまったわたくしは、ほぼ日本では作品が残っていないと知りつつも、珍しく検索。すると、やや、あるではないか!近くに!香山のミュージアムが!
宮川香山 眞葛ミュージアム (kozan-makuzu.com)
一部作品をVRでもご覧いただけますので、是非リンクをお訪ねになってください。来場は、土日のみとなっております。

かつて外国人が横濱に来遊するや否や、旅館ではなくその工場を観るのが例であったというその作品群。その大半は価格の如何を問わずに売約されたそうです。西洋の紳士室内に、仮に100の西洋美術品やグルメを準備しても、この横浜焼(眞葛焼)が無くては意味がない、とまで言わしめた驚愕の存在です。

《水辺二鳥細工花瓶》1876-1881年ごろ
《七宝筒形灯篭鳩細工桜》1881年頃
《花二鳥細工楽園飾皿》1876-1916年頃
《葡萄鼠細工花瓶(一対のうち)》1876-1881年頃
《上絵金彩帆立貝二魚蟹図花瓶》1876-1882年頃

僅少な作品数の中でも、まだまだお伝えしたい写真があります。
横浜駅から徒歩圏内ですので、ぜひ実際にご覧いただければと思います。
作陶の技術もさることながら、動植物への深い愛情も伝わってきます。
日本画家の方々もそうですよね。自然をコントロールする方法を考えていた西洋人と、古来より自然を敬い、共存しようとしていた日本人の感性の違いが、この細密表現に繋がるのでしょうか。

最後に、二代目香山が初代について語った言葉を残しておきます。
「故人は西洋向けのけばけばしいものよりも、日本向けの沈んだ雅致に富んだ物のほうが得手のようでした」

そう、そうだ。

細部を把握できるということは、点と線でいうところの線なのだ。香山は線の眼を持って、西洋人から集中する点の作品を製作したからこそ、想像以上の驚愕を与えたに違いない。こんなに贅沢な作品が生まれたのは、日本人とは異なる眼の存在があったからなのかもしれない。開港の時代性と、苦労して横濱に眞葛焼窯場を完成させた作家の、ケミストリーが生んだブランドなのだ。

《琅玕釉蟹付花瓶》1916年頃(初代遺作)
《蕎麦釉蛙付花瓶》1917-1940年頃(二代目作)

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