【本】グレッグ・イーガン「宇宙消失」 感想
著者:グレッグ・イーガン 、Greg Egan (原名)
翻訳:山岸 真
あらすじ
注意:ネタバレだらけです!!
とんでも未来
まず始めに、この世界では星空が消え去ってます。正しくは覆われて見えなくなっています。
2034年に発生した「バブル」という異常により、地球の周りは真っ暗な謎の物体にすっぽり覆われてしまいました。世界では恐慌がおこり色々議論もされたものの、何もなく33年が経過してます。
2068年のオーストラリア、元警官のニック・スタヴリアノスは探偵業まがいの仕事をしており、ある依頼を受ける。行方不明の女性を捜索してくれというものだ。
2068年の人々は、用途別再結線モデュケーション、略してモッドを頭の中に突っ込んでいるのが当たり前で、必要に応じて使い分けていた。これは脳神経をナノマシンで用途に応じて再結線してコンピュータ化するもの。視覚・聴覚中枢に影響をもたらしたり、時には感情や人格さえ変えてしまう。
不測の事態が起きても動揺しない精神を備えたり(ゾンビ警官、と呼ばれている)、忠誠を誓って逆らうことができないモッドなんかも存在する。
ニックの場合は亡くなった妻をあたかも存在するかのように表示させるモッドなんかも使ってます。
ニックは女性の捜査を進めるうち、怪しい科学者集団のアジトに入り込むのですが、そこで彼らに見つかって頭に忠誠モッドを突っ込まれてしまいます。するとどうなるか? 彼らに逆らうどころか、心から献身を誓って命令に従うようになります。洗脳です!!!
つまりニックは選択の余地なく手下にされてしまったのです。
怖すぎんか!? 攻殻機動隊のゴーストハックより凶悪ですよ!! 何をされたか察することも出来ずに精神が組み替えられるとかいう悪魔の所業である。
打倒の鍵はまさかの量子力学
そんなわけでニックは都合よく警備員のように扱われるのですが、例の科学者集団が研究していたのは、量子力学、シュレディンガーの猫(シュレディンガー方程式)、そして波動関数の収縮というものでした。
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ってなると思うので簡単に説明します。ウィキも貼っとく
量子力学とシュレディンガーの猫は、SFといえばこれだよね!という鉄板の理論です。
まず量子とは、極めて小さな物質・エネルギーの単位のことです。
例えば物質を形どっている原子そのもの、原子を形づくる電子や陰子、陽子、中性子などが量子とされています。また、これらよりも小さい光を粒子として見た光子や、ニュートリノ、ミュンオンやウォークなどの素粒子も量子に含まれます。
で、量子の世界では独自の力学が働いておりまして、ふつうのニュートンがどうこう重力が〜みたいな話が通用しません。というかあまりにちっさすぎて、ここにあるかもねという可能性の話だけで研究してます。
シュレディンガーの猫とは量子力学における重要な概念で、相反する状態が重なり合って存在する状況を指します。 箱の中の猫が生きているか死んでいるかを確認するまで、両方の状態が同時に存在するとされる思考実験が知られてます。詳しくはこちら
そして波動関数の収縮についてなのですが、これは上二つに関連しています。
「ここにあるかもねという可能性」は相反したりぼんやりして何十通りも存在しているのですが、猫を入れた箱を空けた瞬間よろしく、観測された途端に「可能性」ではなくなり、結果が確定するわけです。
この可能性が固定する状態を 波動関数の収縮 といいます。
……で、結局何がどうなっているのかというと、
ニックは自分と同じように脳みそに忠誠モッドを埋められた人達にスカウトされて、組織への反逆に加わります。
本来だったら忠誠を誓っているので反逆なんて出来ないのですけど、彼ら科学者集団が研究していたのは、波動関数の収縮をモッドによって意図的に引き起こすというトンデモ技術開発で、そのモッドを掠め取ることで反逆を可能にしてしまおう という作戦だったのです。
波動関数の収縮を意図的に引き起こす ということはつまり、人間も世界も原子や量子から出来ているのですから、未来に起きる出来事を意図的に決定し、可能性を確定できるということなのです。
そして同様に、波動関数の収縮時に消え去った可能性がある。別の選択をした自分が恐ろしい数存在していて、全部消えている。これを作品中では可能性の虐殺とか呼んでます。
バブルは地球人やめろやガードだった
ニックは自主的に訓練してモッドを使いこなし、波動関数の収縮を意図的に引き起こすことができるようになります。通りがかる人達が偶然ニックを見ない。偶然ドアが故障して開く。偶然カメラが映っていなくて監視カメラに映らない。そんな訳の分からない状況を引き起こし、ニックは科学者集団の作ったこのスーパーモッドの設計図を手にします。
設計図を持ち帰って仲間内で扱う予定でしたが、仲間の一人が裏切ったことで世界はハチャメチャになります。でも結果的にバブルの真実は判明します。
それはなんと……地球人は全員が、波動関数の収縮を無意識に行う力を持つ種族なのだ!!ということ。
意図的にできる人はいないですけどね。モッド入れてるニックとボークゥイとローラしか出来ません。
100億人存在する人間が全員、波動関数の収縮を行うことができちゃうわけですから、とんでもない数の可能性が虐殺されるわけで。それは宇宙全体に影響するほどになってしまっていました。
なので別惑星のエイリアンが「マジでやめろ!!」という処置としてバブルを作ったのよ、というのが真相でした。
最終的には地球人が波動関数の収縮をできちゃう状態(拡散状態)になり、色々な被害がありつつ、バブルは消え去っていくのでした……。
モッドとおれとアイデンティティ
ふうふう。説明だけで汗が出てきちまうよ。
ニックはこの一連の出来事を通してモッドに振り回されまくるわけですが、一方でモッドに振り回される自分自身をもまたおれとして受け入れていました。言い方を変えると「それでいいや」、と諦めてしまっていました。原因はやはり、過去にあった事件での妻の死でした。
しかしニックはこの波動関数の収縮を行っていくなかで、「今ここにいるおれは消えるおれなのか? それとも成功して生き延びるおれなのか?」という問いを無限にし続けます。
それもそのはず、波動関数の収縮が起きた瞬間、確定した事象以外の可能性は全部虐殺されちゃってるわけですから!
この作品では、モッドと波動関数の収縮を通し、「はたして自分自身とは何なのか?」という疑問をひたすら追及しています。
モッドを使った自分は誰なのか、忠誠モッドを使って別人になるのは自殺なのか、正しい収縮とは何なのか、間違った収縮とは何なのか、虐殺された自分とは誰だったのか——?
精神と脳神経から始まり、量子力学にまたがって宇宙全体にまで広がるスケール。最期の展開の熱さを含め、読み進める手が止まりませんでした。