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「地球最後の日」感想

監督:
ルドルフ・マテ
脚本:
シドニー・ボーエム
原作:
エドウィン・バーマー
フィリップ・ワイリー

あらすじ

遊星衝突による地球壊滅の危機を描いたSF映画。科学者グループは地球を放棄し、ロケットで別の惑星へ移住する事を決定。その建造が急ピッチで進められる。やがて、接近する遊星の影響から世界各地で地震や津波などの天変地異が続発、遂に地球脱出のタイム・リミットがやって来た......。

検索より

1951年の終末映画

南アフリカのケンナ山観測所(天文台)にて、地球への衝突コースを辿る2個の放浪惑星ベラス[1] (Bellus) とザイラ (Zyra) が観測された。観測責任者のブロンソン博士は、その2天体の進路の検証を依頼するため、天体を撮影した感光版を民間パイロットのデヴィッド・ランドールに預け、ニューヨークにあるコスモス観測所のヘンドロン博士に届けさせる。ランドールは手渡された前金が約束より少ないことに抗議するが、ブロンソンは「残りはヘンドロン博士が払う」と言い、さらにこう告げる。「その時がくれば金など紙切れだ」。ランドールは不審の面持ちを浮かべながらも依頼を引き受け、ニューヨークに向かった。

Wikipediaより

70年近く前の時代からこういう終末ものはあったんですね! 古めかしいながら鮮やかな映像に味があります。
アメリカの終末ものっていうとドントルックアップ が思い浮かびますが、テンションは似てるかもしれないです。

序盤ストーリーは↑のとおりで、
主人公の飛行船パイロットランドルは、女といちゃこきながら飛行船に乗る不良パイロット。
ところが世界終末に関わるとんでも荷物を抱えさせられ、しかもスーツケースに手錠まで付けられて運ばされることになります!!

アメリカで博士の娘ジョイス(美人)に出会い、ちょっと見栄張ったりしますが、世界終末の真実を知ります。

ノアの方舟作り

衝突する隕石ザイラには生物が居住できるとわかり、博士達やランドルは移送ロケット製造を急ぎます。
ジョイスは婚約者ドレイク医師とランドルの間で心が揺れますが、ランドルは「飛行機のパイロットなんて向こう100年必要ない」と言ってロケットに乗らないつもりであると伝える。
ぼぼ婚約してるのに他の男にふらつくジョイスお前マジで

ロケット完成を間近に、ヘンドロン博士が乗組員選別でくじを引かせますが、娘のためにランドルも必須乗組員扱いにします。この親子マジで

弱肉強食の世界

出発を目前にして、クジに外れた人々が暴動を起こします。スタントンの予言が当たった形です。
ヘンドロン博士はスタントンも道連れに、地球に残りました。ロケットではパイロットとして必要と言われたはずのランドルでしたが、実は他の人員で足りていて、ジョイスにフラれたドレイク医師が嘘をついていたと判明。ドレイクお前……いい奴すぎんかマジ……

ストーリーのメリハリがちゃんとしていて、レトロな部分もそこまで気にならず鑑賞できました!


本題と関係のない話:SFというジャンルについて

ここからは私の愚痴みたいなものです。
昨今、SNSで見かけるSF小説作家を自称する人々は、このジャンルを科学的考証に基づくもの・もしくは科学的理論が正しいものでなくてはいけない と勘違いしているらしい。もしくはそれ以外認めない。
変な話だ。スペースオペラやディストピアだって理論も何も、そもそも想像でしかないのに。
※類似としてこんな記事を書いている方もいる。
他ジャンルでもそうだが、「高尚なSFとはこういうもの」と声高に喋ることを恥ずかしげもなくやれるのは尊敬するが、否定は別だ。せっかくの書き手や、興味を持った新入者を迫害してるようなものである。なのでそんな古臭くて凝り固まった考えを誇示する前に、映画やアニメなど広いコンテンツを鑑賞し、自由な発想に触れて考えを改めたら良いと思う。

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