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博士課程に進んだのは、魔法使いになりたかったから

アカデミアや会社の研究部署にいると博士持ちの人の方が多く、さほど博士号を持っていることに特別感を感じることは少ないです。
しかし、昔からの友達や新しく知り合った人とお茶をするときに、「なんで博士課程に進んだの?」と質問されることがあります。

偶々、「その時に興味があったことを突き詰めた」とか、「博士号があった方がお金がもらえるかも」とか、「国際社会で生きていくためには〜」など、直裁な理由はいくつか思いつくのですが、自分自身の原体験として博士に進んだ理由を考えると「魔法使いになりたかったから」ではないかと最近思う様になりました。

私は振り返ると「何かよくわからない言葉を用いて、難しそうな自然現象を自分の力に変えていく」というキャラクターに子供の頃から強く憧れていました。

小学生の頃は学童保育で『シェーラ姫のぼうけん』を部屋の隅っこで読んでいましたし、

クリスマスに叔母から贈られたクリスマスプレゼントは「ハウルの動く城」の原作本でした。

なんとなく格好いい衣服をつけて「よくわからないもの」を「よくわからない術」で組み合わせて「役に立つもの」にする工程に憧れていたのだと思います。

ここでよくわからないものというは歴史があることがポイントでした。「何年前の〜が」みたいな権威に溢れているものにも憧れていたのだと思います。

私が博士号を取得したのはchemoinformaticsという化学や物質を情報解析でなんとかしていこうという分野なのですが、この分野も「よくわからないもの」を「よくわからない方法」で「役に立つもの」に変えることには変わりありません。

  • 魔法に使う材料 → 合成に使う試薬・原材料

  • 魔法そのもの → 実験操作だったり予測プログラムだったり

  • 出てくる結果 → 研究成果

  • 昔からの積み重ねや伝承 → 論文そのもの

という置換で考えると科学研究だってほぼ魔法みたいなものです。そもそも魔法は「我々にはよくわからない神が与えたもの」「理解も及つかない術や方法で世に介入するもの」として捉えられ、有名なクラークの三原則だって

Any sufficiently advanced technology is indistinguishable from magic.
- 十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない。 

Hazards of Prophecy: The Failure of Imagination by Sir Arthur Charles Clarke

と述べています。おそらく、魔法世界で育った人は科学に対して、魔法と同じような憧れを抱くのでしょう。そしてその憧れはきっとこれから科学を行っていきたい子供たちも同じ憧れを持ってくれるはずです。
この憧れは「魔法」にせよ「科学」にせよ、きっと同じ根源的な感情があるのではないかなと思います。

ありがたいことに我々は進化の中で生まれた「よくわからないけど何か体に良いもの」だったり「なんか理由は知らないけど、作ってみるとうまくいくもの」をうまく定式を見つけて再現しようとします。
前者は菌類や海綿・植物が作る複雑な二次代謝産物ですし、後者は進化情報を利用して過去を再現する祖先配列構築法などが当たります。この両者は、時代が異なればきっと魔法だとして捉えられたのでしょう。

研究や博士課程が辛くなった時には上記の様な妄想をして、自分が「失われてしまった魔法を再現して、現代に復活させている魔法使いなのだ」と考えて気を紛らわせていました。

私はすでに研究の最前線からは引いてしまったわけですが、魔法への憧れを心に持ったまま、日々の科学研究を進めていきたいなと思います。

冷凍みかん

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