人格破綻寸前の母③(与えなさすぎる親)
小学校中学年期(毒親度50%)
地域の中からの疎外感や違和感に苛まれていた母に追い討ちが掛かる
母が嫁いで以降、親しく交流があった近所の奥さんまで急に態度を豹変させたのだ
その人は俺の母と近い時期に出産し、同じ年頃の子供をもつ母として、うちの母とは仲良くしていた。今で言う所のママ友だった
近所と言うこともありその人の娘とは2・3歳の頃からよく家で遊んだりしていたのだが
小学校低学年頃にいきなり母から
「もう〇〇ちゃん家に行かないで、もう〇〇ちゃんと遊んじゃ駄目」
と御触れを出されてしまった
どうしてと聞いたら
「あの子のお母さんはおかしくなったからもう近付かないで」
と言われた
言われるがまま幼なじみの家に行くことをその時から諦めた
具体的な話を聞いたのはその数年後だった
ある日、母が近所の奥さん(以後:Oママ)から
「あんたの家の子供のせいでうちの子は幼稚園に入れなかったのよ!」
と言い掛かりを付けられたのだと言う
その場でどう母が受け答えたかの話の内容までは覚えていないが
母にも思い当たる節がなかったので突然豹変したOママへの戸惑いと怒りを露にしながらそのときの様子を振り返っていた
母は「Oママがそうなったのは他所の人間からあらぬことを吹き込まれ、それを鵜呑みにしたからだろう」と言っていた
何がどうしてそうなったのかは知る術もないが、長らく付き合っていた幼なじみとの交流は唐突に断ち切られてしまった
祖母からは友達との交流を制限され、母からも幼馴染みとの交流を断ち切られ
学校と習い事くらいでしか他所の子供と関わりを持てなくなっていた自分は、この頃から必死に友達と共通の話題を探すようになっていた
友達と会話するための材料として、流行りのテレビ番組、アニメ、音楽、芸能、マンガ、ゲーム、グッズなど何でも良いから触れていきたかったのだ
テレビ番組、アニメに関しては祖母の采配によって子供にチャンネル権を与えない家だったので自由に視聴が出来ず
大人たちが垂れ流している番組、つまり
興味のない野球・時代劇・ニュース・ワイドショーをメインで見せられていた
とは言えそれらの番組をやっていない曜日・時間帯であれば興味があるバラエティーやアニメ・歌番組に辛うじて触れることは出来た
(とは言え出演者によって、または出演者の振る舞いや映された映像によっていきなりチャンネルを変えられる事もあったが)
アニメに至ってはバトル系のものは祖母が「汚い言葉を覚えるから」という理由で見せようとしないので、見られても名探偵コナンと金田一少年の事件簿、そしてドラえもんにサザエさんにアンパンマン
マンガも祖母から「バカになるから読んじゃダメ」と止められていた
音楽番組は音楽番組で、昔の歌が取り上げられない限り「最近の歌手(平成以後を指して)はちゃんとした歌を歌わない」と難癖をつけられて見せてもらえず
(これは祖父母両親の全員が言っていた上に、担任の先生までもが授業中の雑談でまで同じように否定的な言葉を吐いていた)
テレビ媒体で情報を集めるのが困難だったのでラジオを聞いてみても
トークが始まれば子供ゆえの知識の乏しさで会話の内容を理解できない上に
音を聴き続けるだけの集中力が続かず聞き漏らしが発生してさらについていけなくなるばかりで退屈なだけのものだった
新聞に至っては読書嫌いが顕著化し活字を読むことに嫌悪感すら抱くようになっていたのでテレビ欄以外は読めなかった
祖母から止められてはいたものの、クラスで流行ってるマンガを読みたくて親に「あのマンガ本を買って欲しい」とねだっても
「お金がないからまた今度ね」←一生来ないまた今度
「絵が気持ち悪いよね」←お前が嫌いだから買わないだけだろ
「絵が下手くそだよね」←俺が読みたいっつってんの
と様々に難癖をつけてはぐらかされた
マンガ本でこうなのだからグッズもゲームも当然「お金がないからダメ」だった
唯一そういったものを手に入れられる機会はクリスマスのみだったが、そのクリスマスでさえも望み通りのプレゼントを貰えるとは限らなかった
「今年はサンタさんになにをお願いするの?」と聞かれて答えても、まったく関係ないプレゼントが枕元に置かれていたり
一切サンタクロースの話に触れずにクリスマスを迎えた年もあった
興味のない物・貰ってもあまり嬉しくない1000円分程度の長靴に詰められたお菓子がそういった年には置かれていた
当時東京で生活していた叔父が里帰りの度にお土産として好きなものを買って帰ってきてくれていたのだが母がその行いに難色を示していた
叔父のお土産が自分の救いになっていた部分もあったがそれもある事情から小学5年の頃からなくなった
これだけ金銭をケチられているのだから貧乏だったのかと言うと決してそうではなかったように思う
自宅の敷地はそれなりに広く、2階建ての一軒家の母屋と、これまた2階建てで離れ兼物置の建物が2棟あったのだ
車も3台持っており、庭の余ったスペースは花壇になっていた
祖父母が学校の教職員だったから年金生活でも収入が安定していたのだ
そして、両親は地元百貨店の店員(母はこの頃専業主婦となっていたが)
なるほど傍目には裕福そうである
実際、同級生からもそう思われていたようで流行りのゲームソフトの話題を振られて「知らない」「持っていない」と言うと
「ウソだぁ~、あんな家に住んでんのにィww」
「え?なに?ほんとは貧乏なの?w」
と、バカにしたような語調で不思議がられたことがよくあった
そして、同世代が月々の小遣いを1000円前後貰っていた中で、この頃俺に与えられていた小遣いはおよそ半額の500円
しかもその中から学校で普段から使う鉛筆、ノート、消ゴムといった消耗品を購入しろと言う事だったので月によっては実質3~400円程度だった
雑誌を一冊買ったらもうお仕舞いだったし、ゲームソフトを買おうとしても当時はソフト1本1万円前後は下らないものが多く、頑張って貯めようものなら2年も待たされることになった
「これじゃ足りない、〇〇くんは1000円も貰ってるのに」と言おう物なら
「他所は他所、うちはうち! 大体他所の家庭は子供にモノを与えすぎている!」
と一蹴され、それでも引き下がれずに言葉を続けると
「そんなに言うなら〇〇君の家の子供になれ!!」だった
このやり取りは小遣いの交渉だけでなく友達の家でプレイしたゲームを自宅でもプレイしたさに母にねだった時にも発生した
よその家の子供になれ
“お前を捨てるぞ”などと言われたら子供にとっては死刑宣告のようなもの
似たような悩みを抱えていた方のブログがあったので以下に引用文とリンクを掲載させていただく
周囲の男子が毎週少年ジャンプを読んだり単行本を買ったりして話を盛り上がらせているのを横目に
ただただ話に混ざれず、疎外感だけが増していった
与えられた小遣いで買っていたものは月刊のゲーム雑誌(Vジャンプ)だった
月単位で見れば週刊誌よりも安く、ゲームの情報を拾うにはうってつけだったが
一冊490円だったので月によっては買えず、他に自由に使える宛もなくなった
祖母からの情報統制と母からの経済制裁のダブルパンチによる少ない引き出しで必死にまわりに付いていこうとしていたが限界はとうに迎えていた
これだけ物を与え渋ってきた母が言うには、祖父母と家計を分けて生活費を出すと父の収入だけでは余裕が持てないから切り詰める必要があったとの事なのだが
ならば何故2人も3人も子供をつくったのでしょうか?
妹の存在を否定したい訳じゃないけど
子供が増えたら支出も増えると言うのは大人であればわかりますよね?
といった感想しか現在は浮かんでこない
いや、子供の頃から母に聞かされてましたよ?
「私が一人っ子で寂しい思いをしたから虚無槽には寂しい思いをさせたくない、だから2人か3人は子供がほしいんだ」って
現状を鑑みないでバカスカ子供作るのが人間のやることなんですか?
「祖父母の収入と自分達の収入を合わせて生活費をやりくりすると自分達が自立できる人間だと思われないから分ける必要がある」
と大層な御託を述べていましたが、その割にはやってる事が稚拙過ぎて笑えない
祖母のことを「世間体ばかり気にしている」と非難していた割には結局あなたも家庭内での見栄を気にして3人の子供の声を無視してきたんじゃないですか?
家計を分けるくらいなら最初から別居してくれた方が祖母からの干渉も回避出来ていただろうし(これは結果論の部分もあるが)
孫の小遣いやプレゼントのために援助をしてくれと交渉してくれても良かっただろう、その方が後から親に対しても祖父母に対しても抱く感謝の度合いは大きくなったはずだ
現在、1人の大人として抱いた感想はこのようなものだが
当時子供だった身としては「これが当たり前なんだ」以上の感想を持ちようがなかった
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