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「自由」か「平等」か、それが選択だ
自由と平等。もちろん、両方とも大事な価値を表しています。しかし、自由と平等が「両立」する場合もありますが、そうではなく「対立」する場面も多いのが現実、ちょくちょく対立します。
あなたの自由か、私の自由か。もし、あなたの自由と私の自由が対立するなら、あなたの自由より私の自由の方が重要だ、というような、どちらかの選択を迫られる場面は少なくありません。
現状世の中の基準は、「いかなる場合も民主主義、いかなる場合も平等」という価値に見えますが、私が提案しているのは、「いかなる場合も自由、いかなる場合ももう一度自由」であり、それを意志することです。
平等至上主義は世界を席巻していますが、世界の状況は悪化の一途を辿っています。きっと、やっていることか、考えていることが間違っているのだと思います。
平等至上主義を中心に、やればやるほど事態が悪化するという現実は、私たち世界の人間に反省を促しているのでしょう。決して、もっと突き進めと言っているのではありません。事態はこんなに悪化しているのですから。
私たちには、新しい考え方が必要なのだろうと思っています。今まで採用していなかった新しい考え、それが、日本の「保守系自由主義」でありましょう。
憲法 第10章 最高法規 第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
ここには、「自由獲得の努力が基本的人権を実現させた」と記してあります。自由への意志が基本的人権をもたらしたのです。つまり、基本的人権の根っこには自由があります。これは、平等よりも自由への意志が先だつ証拠となります。平等至上主義のために不当に自由が制限されることがないようにしなければなりません。
さて、この価値観で今を見ると、この状況はいかがなものでしょう、私は、望ましい状況ではないと思っています。
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