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ハリーポッター トム・リドルを見て悪役ついて
先日ハリーポッターを初めて全編通して見終わりました。トム・リドルことヴォルデモートが魅力的な悪役だったので、悪について、悪に至る考えなどをまとめてみました。
※原作はこれから読みますので、映画版だけの考察になりますがよろしくお願いします。
悪者はなぜそんな事をするのか?
物語には悪役がいます。その中でも家庭環境が悪い、育ってきた環境などはもちろんあげられますが、そもそも悪=快である事が前提です。
食べることに、善や悪が伴わないように。
人を殺すことは何故悪いのか?自分のために皆生き物を殺し、食らっているのだから自分の行いも生物として当然のことだ。
少し短絡的ですが、こうやって自分の行いを正当化するのが悪です。
一方、食べる事(命を頂く)は等しく悪であるにも関わらず、その行為に正当性を見出すのは善側です。
悪側の人間には、きっとその曖昧なラインが分かってないのでしょう。そもそも、日常生活ですら全員が罪を持ち、簡単に言ってしまえば誰もが悪なのです。
善と悪が表裏一体のように描かれるのはそのような、人間個人の意味付けの観点でしか決められないからです。
正義とは、人間が決めるもの。もっと言えば、言伝で教えられるものじゃないでしょうか?それは母からか友からは分かりませんが。育つ環境の中で孤独であれば尚更、悪への快楽の方へと偏ることになるでしょう。
同じ境遇であっても、悪になるか善になるかは変わる?
ハリーポッターも過酷な環境で生きてきたので、ハリーポッターも悪になってもおかしくはありません。
私は産んだ親が愛を込めていたのでハリーもそれを受け継いだ……と思いますが、愛を与えられても悪に走る人はいます。
それで先程の言葉をまた書いておきますが、悪と善は快楽的に……指針的に、自己満という点ではおなじです。他人のために善を行うのも、結果的に快楽とすれば、その定義はますます曖昧なものになります。
違うとすれば他者に対する痛みの想像力です。
ちなみに痛みの想像力が鈍い方が正義側だと思いますが、どう思いますか?
なぜなら痛みや不安から目を背けられる程、明るい方を目指せる(暗い方から目を背け、明かりに目を向けることが出来る)からです。
↑痛みがわかるからこそ、他者に優しく労わる事ができるという観点を除いていました。
むしろ、痛みに麻痺しているからどんどんと強い痛みを追求するのが悪かもしれません。
しかしそこまでに至る過程を考えれば、痛みや恐怖に敏感だからこそ、他人に対しても同じ行為を働くことができるといえます。
ここも表裏一体と思える点があるかもしれません。
結論
色々な悪と善がありますが、正義側も悪になり得るし、悪者も正義側になり得るのです。
誰でも悪になり、善になる素質は備わっており、その「行い」と「意味づけ」、時代の価値観によって変わっていくものだと思いました。
僕はいつも悪側に魅せられてしまいますが、いかがでしたでしょうか。
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