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【Re:01入院清話】27:学校とは

「不適切にもほどがある」最終回、学びました。

2024年から来た向坂キヨシが、不登校の同級生、佐高強へ最後のセリフ。
「行けよ学校」
「学校なんてさ、自分と気が合わない奴がこの世に存在ってことを勉強する場所だけどさ」
「3年かけて自分以外は頭おかしいってことを確認する場所だけどさ」
「その中で、一人か二人友達が見つかれば、他は死ぬまで会わなくていい奴だから」
「俺は佐高くんに会えてよかったし、それは学校のおかげだし、気が合うやつとは関われて、合わない奴とは関わらなくて済む」

向坂キヨシくん、一人で長いセリフお疲れ様、そして、その通りです。

友達100人出来るかな?なんて歌があったが、そんなくだらない押し付けの唄廃止するべきです。別に親友、友達でなくていい、会話が出来る人で十分。

あと学校初日、家族が「友達出来た?」って聞くの止めて欲しいと思った。
友達出来ないとダメな人間なの?と思った。

同じ趣味の話が出来る、気の合う奴が一人でもいれば学校は楽しいのです。それが小中学校だと私も思います。「ふてほど」はこんな細かいとこまで配慮されていたのでした。

社会を引退して思います。小学校のころ、何か自信を持てるモノがあったらなと。それは、勉強とか、出来たら空手とか自分の身を守ってくれるもの
特技、興味(探求心)、礼儀、自分と価値観が違う人を寄せ付けないオーラが欲しかった。

それが無いと、変なのが寄って来て、やりたくないことして、我慢して、相手に合わせて、心が折れて、学校が嫌になり行きたくなくなる負の連鎖となります。

大人しくて、優しい子ほど陥りやすい、集団の空気。それを避けるためにも一つでも自信があると便利アイテムです。

健全なる精神は健全なる肉体に宿る

体が健康であれば、精神もそれに伴って健康である、1~2世紀のローマの詩人、ュウェナリスの「風刺詩集」の一説に書かれていたそうです。今は、体を鍛えれば精神も鍛えられると解釈できます。歴史的先人から学ぶものは実に多いです。

とは言うモノの子供の内は多くの失敗も必要と思います。例えば兄弟げんか。そこから学ぶことも多い、年を重ねてからの失敗はダメージが重いのです。立ち直れない人も沢山見てきました。

どちらを選ぶかは親次第かもしれません。
では、また。


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