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【読書感想文】砂糖の世界史 【後編】

イントロダクション

前編は砂糖が世界商品であり、奴隷制度と深く結びついてることを説明した。後編は砂糖が育んだ近代文化についてポイントをまとめる。

ポイント1.砂糖が育てた「コーヒーハウス」とは

17世紀後半から18世紀にかけて、ロンドンをはじめとするイギリスの都市では「コーヒーハウス」が大流行した。ある外国人の旅行記ではこう書かれている。

「コーヒー・ハウスなるものはいたって便利である。そこではあらゆる種類の情報が得られる。コーヒーを一杯飲んで、友人たちと談笑して、たったの1ペニーで済む」

18世紀 ロンドンのコーヒーハウス

コーヒーハウスにはさまざざまな情報が集まったため、いくつかの文化やビジネスが生まれた。
・世界最大の保険会社(実際は保険組合)であるロイズ保険組合
・ニュートンも所属した、科学者の集まりである王立協会
・新聞や雑誌
・ロビンソン・クルーソーなどの文学

コーヒーハウスではコーヒーや紅茶、そしてチョコレートドリンクが売られ、これらの飲み物には必ず砂糖が含まれていた。砂糖はこれらの近代文明の助産師のような役割を果たしたのだ。

ポイント2.イギリスの食事の転換と砂糖

19世紀初め、イギリスは世界最初の産業革命に成功。食生活にも変化があった。当時、朝食という習慣は無かったが、朝から働いてもらうために朝食やティータイムの習慣がうまれつつあった。

朝食に食べられていたのが、砂糖入り紅茶だ。砂糖入り紅茶は高価だったが、穀物法の廃止や砂糖関税の引き下げ、茶を扱っていた東インド会社の貿易独占の廃止などの要因で安価になっていった。

ポイント3.砂糖きびの旅の終わり ビートの挑戦

ヨーロッパの国々が砂糖を大量生産できた背景には温帯地域の植民地における黒人奴隷の酷使があった。

しかし、すべてのヨーロッパの国がカリブ海などの土地に砂糖植民地を持てたわけではない。寒いところでも砂糖を生産できないかーそういった考えが出るのは自然だろう。

プロイセンの科学者マルクグラーフが、家畜の飼料として使われてたビート(砂糖大根、甜菜)にかなりの糖分が含まれることを発見。その後はビートの品種改良や製造方法の研究が進み、1880年にはビート糖の生産は砂糖きび糖の生産を上回った。ただ、実際のところ両者の生産性に大きな差はなく、現在でも砂糖はどちらからも生産されている。

むしろ、砂糖きびの真の敵は人々の食生活の変化、飽食の時代への転換だった。例えば日本の砂糖の一人当たり消費量は30.4kg(昭和49年)から16.2kg(令和元年)へと45年間で半減している。砂糖は今後、太りにくい化学甘味料に置き換わっていくだろう。


最後に。砂糖のような世界商品は歴史に、明暗2つの側面で影響を与えてきた。工業の発達を促したことは正しく評価しなければならない一方で、その争奪戦で奴隷制度が横行したことも気に留める必要がある。

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