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ドラマ『海のはじまり』特別編 感想 さらば愛しき女よ

『海のはじまり』特別編は、主役の目黒蓮の体調不良により通常回が中止になり急遽放映されたものだ。目黒蓮の体調の回復を祈るばかりである。

この特別編がこのドラマの中でどういう位置付けになるのかは分からない。蛇足だったかもしれない。と言うのは、私にとって南雲水季という女性の心情がいまいち理解できなかったからだ。ただ、南雲水季と津野晴明の恋愛が終わった事は理解できた。

この特別編を見終わった私の脳裏に浮かんだのは『さらば愛しきひとよ』である。これはレイモンド・チャンドラーの名作と誉れ高い作品のタイトルである。そして、津野の心境でもあるに違いない。ならば、お手上げ状態の私に代わって『さらば愛しき女よ』の名探偵フィリップ・マーロウを召喚して彼に分析してもらうのもいいのかもしれない。

ちょっと実験的な試みです。『海のはじまり特別編』を観て、かつ、お時間がお有りの方はお付き合いください。

さらば愛しきひと


ブルー

いつものように夕食を終えた津野晴明は片付けを終え、コーヒーを淹れた。読みかけの本を開こうとしたが、気が変わってラジオをつけた。女性DJの声が流れてきた。

「それでは次のリクエストはモトハルさんからですね…」

モトハル…どんな字なのだろう …自分とは違って春の字なのだろうか…そんな事を考えながらリクエスト曲を聴いていると、歌詞の一言一言が胸に突き刺さってくることに津野は気がついた。津野はスマホで検索した。

「『あなたと私いつも背中あわせのブルー』か…」

津野は思わず耳に残った歌詞を呟いた。不意に背中が熱くなった。南雲水季がもたれかかってきた背中に彼女の重みと温もりが蘇る。津野はあの時の水季のペディキュアのブルーを思い出した。

でも、もう終わったことだ…

津野はテーブルの読みかけの本を見た。『さらば愛しきひとよ』のタイトル。津野は苦笑して本を片付けようとした時、スマホに着信があった。滅多に着信がないので津野は驚きディスプレイをみた。

マーロウと表示されていた。

マーロウ

指定されたバーに行くとマーロウがカウンター席に座って生ビールを飲んでいた。

古居真郎ふるいまさお、通称マーロウ、津野の大学の先輩である。

津野を見たマーロウはジョッキを軽く持ち上げた。

「お久しぶりです、マーロウ」

「相変わらずだな、セイメイ」

マーロウは津野のことをセイメイと呼ぶ。

「また何か悩んでるのか?」

「悩んでいると言うか、終わったと言うか…」

「遠慮せずに言ってみろよ。話せば気が楽になる」

津野は南雲水季との経緯をマーロウに話した。マーロウは時折相槌をうつだけで黙って聞いていた。話し終えた津野は生ビールのジョッキを傾けた。マーロウは空になったジョッキをバーテンダーに差し出した。

「すみません。お代わりを」

そう言うと、マーロウは時計に目をやり笑いながら言った。

「ギムレットには早すぎる」

津野も笑った。

「マーロウも相変わらずですね」

「冗談はさておき、一言言わせてもらうと」

マーロウは運ばれてきた生ビールを一口飲んだ。

「いい大人同士が何をやってる」

津野は返す言葉もなかった。

「確かに…でも」

「『でも』じゃない。水季さんという人には会ったことはない。会ったことはないけど、俺には分かる。彼女は人一倍感情の量が多い」

「感情の量、ですか?」

感情の量

「そう、量だ。元カレと付き合ってた頃は彼女の心はその彼のことでいっぱいだったはずさ。そして、海ちゃんを妊娠したら、今度は海ちゃんのことで心がいっぱいになったんだよ」

「…」

「セイメイ、お前に足りないものが2つある」

「足りない…2つ…ですか?」

春夏秋冬

「まずは『夏』だ」

「ナツ?」

「うん、セイメイの名前は晴明、つまり、春と秋だ。そして、生まれた季節は冬。夏がない。性格的にも夏は合っていない」

「はあ、確かに…でも、それが…」

「大した事ないと思うだろう。でもな、案外こういう事が最終的な意思決定に影響するかもしれない」

「そうですかね」

「そうだ。人間って心のどこかではそういう縁を気にしてるものさ。考えてみろよ。母親は水季、娘は海だぜ。水の季節で海と言えば夏だろう」

「…」

「海ちゃんの父親である元カレの名前、夏に由来する名前だろうな」

「まさか」

「今度、水季さんに聞いてみろよ。元カレの名前は夏に由来しますかってね」

「そんなの聞けるわけないですよ」

「そうか、まぁいい。いずれにせよ、水季さんが海ちゃんを呼ぶたびに元カレの姿がチラついてるはずだ。それだけ思いが強くて多いわけさ。セイメイにとっては手強い相手というところかな」

タフさと優しさ

「足りないもの、あと1つは何ですか?」

「タフさ、だよ」

「タフ…」

「男は」

マーロウがそう口にした瞬間、津野はその後を続けた。

「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない…で、俺にはタフさが足りなかったと…でも、さっきも言いましたが、俺にしては今回はかなり粘ったほうですよ」

「確かにセイメイにしてはよく粘ったと思う。ギリギリまで行ったよな。もう少しで彼女を落せたと思う。でも、彼女は落ちなかった。何故だ」

「怖かった…からでしょうか」

「うん、彼女は言ったんだろ。『2人きりになりたいな、子供邪魔だな、この子じゃなくてこの人の子供が欲しいなって思うようになっちゃうの、怖いんですよ、海がずっと1番って決めて産んだから。半分は無意識だったけど、半分はわざとです。海の話ばっかりするの。忘れちゃうの怖いから。2人でいるの楽しいってなりすぎるの怖いから。ごめんなさい』ってね」

「はい」

「で、セイメイはただ『いいよ』としか言わなかった」

「…」

「どうして『俺だけを見てくれればいい。溢れ出る思いは俺が受ける。海のことも元カレもひっくるめて俺が引き受ける』とはっきりと言ってあげなかった?」

「…」

「言葉だけじゃ駄目だ。そういう言葉とともに力強く抱きしめてあげなければ水季さんの恐れや不安は消えなかっただろうな」

ギムレット

マーロウはバーテンダーに「ギムレットを2つ」と注文した。

マーロウと飲みに行った時の最後の締めはいつもギムレットだった。

「水季さんも心のどこかでセイメイが一線を越えてくることを望んでたんじゃないかな」

「そうですかね」

「プラネタリウムで寝たり、ブルーのペディキュアをしてきたり、背中にもたれたり、家によんだり…彼女の、彼女なりの、ギリギリのサインだったと思うよ。そんな彼女の胸中を察すると泣けてくる」

「…」

「セイメイ、お前には優しさは十分ある。生きてゆく資格は十分ある。でも、タフさが足りない。生きてゆくには辛いだろうな。もし、次があるなら…水季さんは一旦心を閉ざしたようだが…次があって、その時、まだセイメイの心に水季さんや海ちゃんへの愛が残っているなら一線を越えるタフさを見せてみろ、次があるなら」

マーロウは目の前に置かれたギムレットのグラスを持ち上げ、津野の方へ傾け、一気に飲み干した。マーロウは立ち上がって支払いを済ませながら津野に言った。

「ある意味、南雲水季はタフさと優しさを兼ね備えていると言えるかもね」

マーロウは1つ溜息をついた。

「ただ過剰だ。過剰すぎる。それはそれで生きにくいかもしれない…過ぎたるは及ばざるが如し…とりあえずセイメイは彼女の心から溢れ出た思いの受け皿になるしかないな。あるかないか分からない『次』までは」

マーロウは津野の肩を1つポンと叩いた。

「また忘れた頃に連絡するよ」

マーロウはそう言い残すとバーを出ていった。

1人残った津野もギムレットを飲み干す。久しぶりに喉を通るジンは辛かった。

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