ドラマ『海のはじまり』第8話感想 代弁者と二人の夏
この前の水曜日、仕事で東京へ行った。帰りに山手線に乗ってると車窓を激しく叩く雨音が響いてきた。そのうち大雨警報や洪水警報が出されたが幸い東京駅に着いていたので雨を避けられた。しかし、東海道新幹線が上下線とも運休。復旧次第次々と発車する感じだったので仕方なくホームで待つことに。そんなわけで今回も鳩サブレーを買えなかった。
四半世紀
夏のこれまでの人生をざっと振り返ってみる。私の記憶だから間違っているかもしれないが時系列を書いてみる。
3歳 両親が離婚。
10歳 母が再婚。
18歳 南雲水季と出会う。
21歳 水季妊娠、水季が姿を消す。
25歳 百瀬弥生と付き合う。
28歳 南雲海の存在を知る。
夏は3歳から10歳まではシングルマザーだったゆき子のもとで育った。ゆき子の大変さを身近で見ていた夏はワガママを言わずにいわゆる良い子として育ったと思われる。
そして、10歳の時に母が再婚して義理の父と弟ができた。当然、夏はこの二人に遠慮したに違いないし、ここでも良い子として振る舞っていただろう。
以上のような生活環境から現在の月岡夏という人格が形成された。つまり、我を出さず自己主張もせず優しい人間になっていった。
そんな夏が自分とは真逆の性格の南雲水季と出会い惹かれていったのは自然だったのだろう。しかし、水季は妊娠したことで夏に一方的に別れを告げる。
一方的に尚且つ電話で別れを告げられた場合の反応としては、相手に直接会いに行くというのが考えられる。仮に私ならそうする。やはり、直接会って相手の表情を見たいし生の声を聞きたい。その上で駄目なら身を引くだろう。しかし、夏はそうしなかった。水季の主張を大人しく受け入れた。20余年にわたって培われた性格のために。
そんな夏のもとに水季の訃報があり、海の存在を知り、水季の母親や津野から嫌みを言われるが反論もせず受け入れる。25年という四半世紀にわたって培われた性格のために。
一視聴者の私としては夏の言動は見ていてイライラしたこともあった。しかし、視聴者以上に月岡夏は25年に及ぶ鬱屈した思いを溜め込んでいたのである。そして、夏は自分の本音を吐き出す相手が周りにはいない。家族は優しいが夏は彼らに気をつかって生きてきた。水季の両親や同僚の津野は自分が知らない水季の空白の7年を経験してきており自分より確実に悲しんでいる。頼れるのは年上の恋人の百瀬弥生だが、弥生も海や水季の存在で苦しめており上手く対応できていない。
そういう八方塞がりの状況だからこそ、3歳の時に生き別れた実父の溝江基春(田中哲司)に会ってみるという選択を夏はしたのだろう。
代弁者
喫茶店で待つ夏と海の前に現れた溝江は遊び人の雰囲気を纏う昭和の男だった。
「アイコーひとつ」とアイスコーヒーの注文の仕方がザ昭和だった。ちなみに関西では「レイコー」昭和のその昔、夏になると関西の喫茶店では「冷やしコーヒーはじめました」と書かれていたことからだろう。そう言えば「冷やし飴」っていうのもあった。買い物で街に出ると親に飲ませてもらった。こういうのって今では死語なのだろう。
25年も音沙汰の無かった息子から急に会いたいと連絡があったので、溝江からするとお金の無心や面倒事等を警戒していたが、どうやらそういうわけでも無さそうだったので一安心。
おそらく溝江は海の名前や水季をバカにして笑ったのではないだろう。自分たちもゆき子と基春という名前から連想して夏と名付けたわけだろうし。ゆき子(雪)→基春→夏と。もし離婚せずに下の子どもができたら秋とか名付けたかもしれない。海という名前を聞いて、夏→海と連想が継続したようで海の母親の水季に自分と同じような感覚を持っていたと感じて面白がったのだろう。
ここで溝江の口を通して出てくる言葉は視聴者が多少なりとも感じていた事を代弁したかのようだった。海という名付けから水季の変わった性格や自分の子じゃないかもしれないとか、今までの話しを聞いただけだとそういう疑問が生じるのも無理はないだろう。溝江基春は、そういう一般的な男性、特に昭和世代の代弁者として登場してきたと思える。
二人の夏(月岡夏)
夏は溝江の茶化したような言動が許せなかった。電話で待機させていた義弟の大和を呼び出した。
夏は月岡夏として直面している事態に対して溝江に理解してもらいたかったのだろう。そして、少しでもアドバイスをもらいたかったのだろう。しかし、溝江からすれば突然の出来事の連続で一杯一杯になり煮詰まってる月岡夏に対してもう少し力を抜けよと言いたかったような気がする。「どうせ海が7歳になるまで育ててないんだし、しょうもない親なんだからもっとゆっくりと進めていけよ」と。
溝江は月岡夏という全く知らない青年の話しを他人事のように聞くしかなかったのだろう。
二人の夏(溝江夏)
一度は物別れに終わった溝江と月岡夏だったが、写真屋さんの仲介で釣り堀で会うことになる。
このあたりから28歳の夏から3歳の溝江夏に戻っていく感じがした。
溝江は写真が趣味ではなかったのだ。カメラは夏を撮るためだけの道具だった。溝江は夏にレンズを向ける。しかし、シャッターは押せなかった。夏の変化を残すために買ったカメラ。今、レンズの向こうにいるのは25年経った夏。溝江も感慨深かったのだろう。
「ここはだめだ、魚が生意気だ!」
魚が生意気と言ったが大人の夏に対して言ったのだろう。夏が3歳の頃は何の迷いも無くシャッターを押せたのだから。溝江は夏にカメラを押しつけるようにして渡した。
ここから夏は本音をさらけ出す。3歳で止まっていた溝江夏の時間を一気に動かすように。溝江の後を追い、その背中に本音をぶつけていく。
3歳から時間が止まっていた溝江夏が28歳の溝江夏に成長した瞬間だった。夏はもう何も言わずに背を向けて歩き出す。
今度は逆に夏の背中に言葉をかける溝江。
「本音言いたくなったら連絡しろな」
そのまま返事もせずに歩き出す夏。溝江夏から月岡夏へと戻っていくようだった。
前回と今回、母性と父性について考えさせられる回であった。溝江基春という昭和の古いタイプの父親の登場によって母性と父性の陰影がより明確になったように思える。少なくとも夏が初めて本音を言えたのは溝江の背中だった。
百瀬弥生とファミリー
月岡夏は実父溝江基春と会うことで、月岡夏と溝江夏の自己矛盾を解消でき、再び月岡夏として月岡家という家族のもとへ戻ることができた。
しかし、百瀬弥生はどうなのだろう。自分自身の両親との関係、夏や海とファミリーになれるのだろうか。
一説によると、「family」は「Father And Mother I Love You」の頭文字という意味があるらしい。
弥生は心からに夏や海に「I Love You」と言えるようになるのだろうか。