「頑張れ」が辛い
前書き
単なる言葉なのに、めんどくさい思考に陥っている人間がいるよって話です。一応、暗めなので気分を台無しにしたくない人は回避推奨をします。
まだ、引きずっているらしい
学生時代も卒業してからも、頑張って疲れていて頑張りたくなくても頑張るしかなかったからか、頑張るとか、頑張れって言葉が、いまだにまだ苦痛です。
ファイトは、まだ柔らかい感じがするので一応大丈夫だと思い込んでいますが、人に頑張れとか言うのも一時期、しばらくちゅうちょしていました。
言うとしても、「無理しすぎずに頑張ってね」とかに、なっていた気がします。
ラインとかのスタンプでも、「頑張って」は、そのままは送れなかった時期があります。頑張れって雰囲気の言葉はないスタンプとかは、まだ送れるけど、頑張れって、言った相手が壊れるかもしれないとか考えが、よぎるのか、言うのに抵抗があります。
「頑張っる」って、
どこまで?いつまで?
できるまで?
休むのと、サボるのの違いは何?
(いまは、体の筋肉などの成長や、頭の記憶の定着のしやすさ、などを考えると、適度に休むほうがいい、休む日も必要という認識が生まれつつあるけど、古い考えの人にはそんなものがないから、ひたすらやれ、できるまでやれだったから、当時は逃げ場はなかったので余計苦しいのかもしれない。真面目なほど逃げ場が亡くなる気がします。
学校や塾も休みの必要性をあまりかんがえてなかったから、部活に入るの強制とか、できるまでひたすら書いてノートを埋めなさいとか、毎日やれとか、いってたんだろうな。
30分を1時間に増やすのは頑張っている、でも、もともと1時間の人は時間を増やさないと頑張ったことにならないみたいな雰囲気があったきがします。できるまで、限界を超えてやればできるとかの根性論で苦しんだ人とかいただろうに、もっとはやく休みの重要性が説かれていたら、(ただでさえ少子化が進んでいる世の中だったのに)若い人の自殺者が、減ったのかもしれないとか、思わずにいられなかったりします。
(もっと早く、休みの必要性を世の中が知っていたら違ったのだろうか?)
親とか、学校の先生とかにがんばれっていわれても、プレッシャーでした。もう頑張っているのに、もうこれ以上どうすればいいの?
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