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私たちはみんなできすぎている?!

おはこんにちばんは!
のんです!


お久しぶりの投稿になりますが
思いつきたてほやほやな
ふと思ったことを綴ります☆


早速ですが
「私たちはみんなできすぎている」とは
どういうことか?


私たちは幼い頃からさまざまな教育を受けて
ひとつ、またひとつとできることが増えていって


社会に出た途端、自立を求められるような
「できて当たり前」のような
空気感があることに気がつきます。
(私自身、いつの日からか違和感を感じるように。)

けれど、ここ最近、
身体障害や精神疾患、見えない障害があることに触れ
私自身も声に悩んだ当事者として向き合う中で
ふと気づいたことがあります。


それは、「できない」と認める後と前とでは
周囲の反応や空気感が
異なる(ように感じる)ということ。

例えば、100人に1人の割合で、
「わ、わ、私は、、、」のように
話す際に吃ってしまう人がいます。

これは、吃音症という発話障害の一つで
自分の意思に反して、吃ってしまうというもの。


吃音を知らない人でも
ものの数分話せば
喋り方に特徴があることはわかるかと思います。

けれど、この人が突然
「で、で、では、歌います」といって
流暢に(吃らずに)歌い出したらどうでしょうか?



……歌は吃らないんかい!!!
と、思わずツッコミを入れたくならないでしょうか?笑



え、すごいじゃん!!歌えるのかよ!!
という反応もあるかと思います。



歌がうまいかどうかは関係なしに
「できない」と思っていたことが
覆された瞬間かと思います。


要するに、
「できない(流暢に喋れない)」が前提にあると
「できた(流暢に喋れる)」ときに心が動くということ。


であれば、私たちはもっと
「できないが前提」にあってもいいのでは??
と思った次第です。

色々と進化を遂げて
ネットなんかも駆使するようになって
できることが増えていく中で


「できないとやばい」みたいな空気感に怯えような
日々湧き出てくる焦りと戦うよりも
できないを前提にしてしまった方が
なんだか身軽になりそうだと思いませんか?
(過去の私へ。笑)


一度きりの人生で
今の身体に魂がやどってくれたのに
変な戦い方をしていてはもったいないですよね!!

育った環境も、思い描く思想も
理想とする生き方も百人百様ですし!



私自身、長年声の悩みを受容できずにいましたが
できないことを認めた瞬間から
できることも見えるようになって

できないこと(声の悩み)を話すと
「できてるよ?」「声素敵で癒される!」と
何故か自分の不安に反した嬉しい言葉までいただけるようになり…


できなくもいいじゃん!!!
と感じることもたくさんあります☆


ということで、
私たちはみんなできすぎているじゃない???

もっと気軽にいこうよ!!的なお話しでした♪


久々の投稿で
ちゃんと伝わる文章が書けているか
不安もありますが…



最後まで読んでくださり
ありがとうございました!


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お楽しみに☆



のん

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