命日
母親が鬼籍に入って一年になった。
そろそろ命日だなと思っていたら、1日過ぎていた。
今年は特に一周忌の法要などしない。
来年父の十三回忌と母の三回忌が2ヶ月差でやってくるから、お寺が嫌がらなければ、一緒にお経を上げてもらおうと思っている。
こういう感覚は人によっては信じられないものなのかもしれない。
しかしわたしは、法要だのなんだのは、10年に一度くらいでちょうど良いのではないかと考えている。
故人の弔い方は、100%生きている側の問題で、残された方が納得していれば、それでいい。
幸い我が家には、口うるさい親戚もいないし、なんでも筒抜けの地域コミュニティーに住んでいるわけでもないので、どこからも文句は出ない。
もちろん当の父、母も、法事を飛ばしたからといって、化けて出るような趣味はないと信じている。
もっとも、法事などしなくても、これまでも年に何度かは顔を出して、墓石を磨いて線香をあげてきた。
仕事先が近くにあって、気が向くと簡単に寄ることができたからだが、手を合わせると特に墓石に語りかけることもない、ただ顔を見にきました、こちらは元気です、とだけ念じて帰ってくるのが常だ。
思い立ったら顔をだす、そのくらいが自分の気持ちに一番しっくりとくるのだ。
雑司ヶ谷近くにある、我が家の墓に入っているのは、父と母、父の母と早世した兄弟たちだが、彼らに連なる親族は、もうわたしと兄弟だけで、われわれが死に絶えると、間違いなくここは無縁墓になる。
父母を知る我々が皆いなくなった時に、父母は本当に死ぬ。
自分たちのことは、さてどうなるか。