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僕は旅だてたのか

最近ラジオで「木綿のハンカチーフ」についてのお便り(古いな、今はメールかTwitterかなんかだろ)が読まれて、それは「大人になってからこの曲を聞くと男の気持ちもよくわかる」という内容で、なるほどあまり考えたこともなかったなと、ちょっとだけ心に残っていた。
投稿者は宮本浩次のカバーを聞いてその思いを強くしたという。

すると今日は、こんな記事を目にした。

あと、その元記事

この文章の作者さんも、もとの記事を書かれた方も、よく読みに行くのだが、女性目線で「木綿のハンカチをくれ」というのはあざといし、未練がましい、とおっしゃる。

ラジオで聞いた振ってしまう男の気持ちもわかる、というのではなくて、女の振られ方がよろしくないという意見だ。

どちらもうなずかされるものがある。
自分としてはあえてハンカチをねだったのは、あざとさというより、嫌がらせではないかと思うのだが、それはそれでわたしの心が汚れているのかもしれない。

いずれにせよ、あの時代の男性の作詞家が書いた、男性側のお気持ちであることは間違い無いのだろう。
さだまさしなんかにも感じるのだけれど、上手いし心揺さぶられるのだけれど、今となってはそれじゃダメだろという詩だ。

時代というのは、これはもう否応なくそこに生きる人間の考え方や生き方を規定するので、後から考えてアウトになるのは仕方ない。
その違和感に早めに気づいてモヤモヤする人と、いつまでもそれまでの価値観を引きずる人がいるのも、やっぱり仕方ない。
人間だもの、その都度考えて答えを出したらいい。

それはそうと、「木綿のハンカチーフ」が世に出た時わたしは中学の1年で、田舎から上京する男と遠距離になった女、というストーリーになんのリアリティーも感じないお子様であった。
それどころか「スーツ着た僕」のフレーズを「すすけた僕」と聞き間違えて、都会に出るといろいろくたびれちゃうのかなと思ったくらいで(あー恥ずかしい)、そもそもこの曲について語るほどの思い入れもない。

であるが、実はこの曲の発売される1年前、太田裕美のデビュー時に、小学6年のわたしは彼女の実家近くに住んでいた。
銀寿司(太田裕美の実家)の娘がデビューするというので、最寄りの駅前にプロモーションにきた本人を見に行った身である。

なのでちょっとだけ首を突っ込ませていただいた。


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