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サンクチュアリの猫

母校の高校には、戦時中に建てられてという二階建ての木造校舎があった。

旧校舎、と呼び慣らされていたその建物は、資材不足の折、建てたその時から造作が怪しかった上に、戦後40年を経て、もうとうに教室としては使われなくなっており、わたしの在学中には、ありがたいことに部室として生徒にあてがわれていた。

建物に入っている部活は五つ。山岳部と空手部がそれぞれ一教室ずつ、軽音楽部と鉄道研究会が合同で一教室使っていて、さらに我らが美術部には破格の大部屋が割り当てられた。
これはそこが元々の美術室であったことと、顧問が校内でわりと発言力があったことに由来している。

残りの部屋には、倉庫として机だの資料だのの有象無象が収納されており、普段は鍵がかかっていた。

故に前述の五つの部の生徒以外、普段まったく人の出入りはなく、我々にとってこの旧校舎は、ちょっとした解放区になっていたのである。
我々は、部活はもちろんのこと、昼休みもここで弁当を食ったし、授業が自習の時など、格好の隠れ場所として機能していた。

さて、学校という場所には良くあることだが、ある時このサンクチュアリに一匹の猫が迷い込んだ。
痩せ細って、雨に濡れていたのを、誰かが拾ってきて、部室に引き込んだのだ。
とりあえず体を乾かしてやり、手持ちの菓子パンと牛乳を与えたら、他にすることもない。
野良で、もう子猫と言える外見ではなかったが、成猫としては人を恐れない様子で、どちらかといえばふてぶてしくもあった。もしかしたらどこかで飼われていたことがあったのかもしれない。

世話をしたのはその一度きりだが、猫は何となく校舎に居ついた。

わたしが異変に気づいたのは、それから2週間くらいしてからだろうか。
ある朝、例によって授業前にひと休みするために、部室に入ったわたしは、そこに黒い影を見た。
例の猫である。

この時に至っても、猫は猫であって、名前もつけられてはいなかった。
何しろ、呼んでも来るわけでもなければ、愛想をふりまくでもない。
デッサンなどしていると、いつの間に足元で寝ていたりするのでだが、気配が薄く、むしろ気味悪がられていた。

その猫が部室にいるのである。

しかしこれはおかしなことなのだ。
昨日下校の時に、わたし自身が部屋から追い出して、鍵を閉めたのだから、そこにいるわけがない。
それに、この部屋にはわたしが最初に来て、最後に帰ることがほとんどなのだから、誰か別の部員が入れたというのも、考えづらい。

してみると、このおんぼろ校舎だ。どこかの穴から天井裏でも伝って入ったのだろうか?

わたしは、改めてこの猫のことを考えた。
そういえば、この半月、最初に餌を与えて以来、奴のことはほったらかしにしている。
誰かが、世話をしているのだろうと勝手に思っていたが、果たしてそんなに奇特な生徒がいるのだろうか?
優しい女子部員たちにだって、可愛がられていた様子はないではないか。

なのに猫は、元気だ。
というか、あんなに痩せ細っていたのに、今改めて見ると、結構でっぷりしている。
いったい、奴はどうやって生きているのか?

さらに一週間くらいが過た。
相変わらず、猫は鍵のかかった部室を自由に出入りしている。
しかし、謎は唐突にとけたのである。

その日は、ちょうど奴が初めて迷い込んだ時のように、細かい雨が降っていた。
部室でひとり、絵を描いていた自分の背後で、突然ものすごい音がしたのだ。
ガサガサ、ゴウァァ、ギギィー。
この世のものとは思えない音だ。
天変地異でも起こったのかと、振り返る自分の目の前に、それは現れた。

奴だ、奴が天井板の隙間から、何かと格闘しながら落ちてくる。

目をこらす。

奴が格闘しているのは、灰色の塊。
それは屋根裏に住みつく土鳩であった。

阿鼻叫喚の時間はどれくらい続いただろうか。
奴は大量の羽を残し、獲物を咥えて去っていった。
恐ろしい光景であった。

その後、奴にはめでたく「はとくい」の名が贈られ、わたしにはトラウマが残った。
さらにその1週間後には、「はとくい」は不意に姿を見せなくなり、2度と戻っては来なかったのである。

奴はどこへ消えたのか、三味線になったとの噂もあったが、その行方は杳として知れない。

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