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あなたへ
時々noteで拝見する若いあなたへ。
伝わらないかもしれないけれど、伝わるといいなと思って書きます。
伝わらなくとも構いません、その時はただの独り言です。
あなたはとても真面目な方だと拝察します。
精一杯、というより、いっぱいいっぱいで生きておられることはよくわかります。
あなたは痛ましいくらいに自分に厳しい。
どうしてそうなったのか、それがどこから来るものか、わたしにはわかりませんが、とにかくどうにも辛い状況なのだな、とは伝わります。
ただ、あなたの書く文章の中に時々出てくる、「自分の絵は周りの役に立たない」という言葉がどうにも気になるのです。
わたしがこんな回りくどい方法でもあなたに伝えたいと思うのは、
描いたり、歌ったり、あるい綴ったり、演じたりすること、つまりはアートや芸術と呼ばれるものですが、
それに救われたり、力を得たりする人はいるけれど、だからといってアートは他人を救うためにあるのではない、ということです。
あれは自分を救うためにやるのです。
アートというのは、自分のなかで何やらうごめいている感情や衝動にかたちを与えて、理解し、鎮め、消化し、あるいは昇華させる、そのための儀式なのだと思います。
それはたとえ誰にも顧みられなくとも、とても上等で意味のある行為です。
あなたはあなたとして、ひとに役立つとか、何ができるとか、思い悩まず、ただ自分のためにアートを続けて下さい。
そのことに臆さないでください。
これは蛇足かもしれませんが、
そういう、自分を救うためのアートが、結果として他人に響くことは珍しいことではありません。
あなたは無力だけれど、それでもあなた自身を救うために描いた絵や、綴った文章は決して無意味ではなく、むしろ切実な分、力があり、ひとの心を打つものがあります。
自分自身がアートに関わってきて、それに幸せにしてもらったという人間であり、何ができるわけではありませんが、ただお伝えしたかったのです。
これはわたしの自己満足でしかありませんので、ここまで書いて気にするなというのも変な話ですが、そんなふうに思っている大人がいるのだということです。
創作があなたの人生に力を与えますように。