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第一記憶(その1)
かのウィンストン・チャーチルは、その自伝の冒頭を自分の「最初の記憶」から始めている。
自伝なのだから、それは全くもって正しいことだと思うが、実はそういう正攻法の書き出しは、意外と少ないのではないかと思う。
わたしはあまり自伝というジャンルを読んだことがないので、断定はできないのだが、この「最初の記憶」について言及した文章を、チャーチル以外にほぼ見たことがない。
ほぼ、というのは実はもう一つだけ読んだことがあるのだが、それは「自分の産まれた際の、産湯をつかう様子を覚えている」という、いささか毛色のかわった話で、正確な意味での最初の記憶とは違うのではないかと思うからだ。
とにかく、日本語に「最初の記憶」に当てはまる適当な熟語がない時点で、これがさほどメジャーな話題でないことはわかる。
ちなみに、英語などにも特にそれを指す言葉はないようだ。
ならば、「初恋」や、「青春」などと比べて、人生の初めの記憶などというものは、それほど魅力的な話題ではないのだろうか
いやそうではないと、わたしは思う。
少なくともわたしには、チャーチルのただ「人々が葬列をなしていた」という最初の記憶は、とても魅力的だったし、
古今東西の英雄や芸術家の見たであろう、はじめの風景を知りたいと願う。
もしかしたら多くの人は、最初の記憶について語りたくとも語れないのではなかろうか
そもそも5歳くらいまで、いわゆる幼児期の記憶がまったくないという人も多い。
あるいは、小さい頃の記憶はたくさんあるが、前後関係があやふやで、何が最初かなんて確認する術がない、という人もいるだろう。
してみるといったい、実際のところどけだけの人が、自分の、最初の記憶を把握しているのだろうか?
(続く)