シロアリと4年間
先日、我が家にシロアリ駆除業者がやってきた。
よくある詐欺みたいな悪徳業者ではなくて、これは以前、我が家に羽アリが出た時に自分で電話して呼んだ業者である。
少し長い話をする。
子供もいないし、さほど稼いでいるわけでもない自分としては、当然、老後のあれこれは心配の種なのであるが、それでもなんといっても心強いのは、うちは持ち家だという事実である。
人間たとえ老いても、雨風が防げるところがあるのは、そして、とりあえずそこから追い出されることはない、という安心感は何物にも変え難い。
まだ公務員として働いていた頃に、多少頑張って建てたこの家は、わたしの数少ない拠り所であったわけだ。
ところがとある初夏の日、その持ち家に羽アリが出たのであった。
4年前のことである。
こいつはまずい、わたしは動揺した。
自分はいくつまで生きるかわからないが、気持ちとしては100まで生きて、もう一度、今度は天空に大きく輝くというハレー彗星を見るつもりでいる。(前回のあれは詐欺みたいなものだった)
そのためにも、この家にはあと40年近く頑張ってもらわねばならないのだ。
というわけで、まだ家をシロアリに食われては困る。
どうしても困るのであった。
幸い、近くの農協と提携している良心的な業者を見つけることができた。
この時、コロナの防護服みたいな重々しい格好をで、床下に潜った彼らは、確かに羽アリは侵入していたが、巣を作ったり柱を齧ったあとはないと、報告してくれた。
一安心であったが、ただ毎年侵入を繰り返している様子なので、とにかく二度と入ってこないように防虫処理をしてもらうことにした。
さらにその時に、以後の憂いを断つため、10年間の定期検査を申し込んだのである。
その2年に一度の検査が、先日の業者の訪問なのであった。
今年も特に異常はなかった。
しかし改めて省みると、わずか4年の間にさまざまなことがあったと思う。
一番大きかったのは、この家の1階に住んでいた母親の死であろうか。
4年前はまだ母親が老健にいて、その後の特養への移転を決意した頃である。
母の寝室にあった介護ベッドを返却して、だからシロアリ業者が畳を上げて床下に潜ることもできたのである。
2年前には、家のすぐそばの特養であったにもかかわらず、母とはコロナで月一回のビニール越しの面会しかかなわない時期であった。
それでも、まだ母はこちらを誰だかわかっていたし、たまにはうちに帰りたいなどと口にもしていたようだ。
わたしは、もういらなくなった母の食器だのなんだのの処分に着手していた。
彼女の帰ってくることがないことは確定していたからである。
今回は、ここの住人の持ち物はあらかた片付けられ、代わりにわたしの有象無象の荷物が収容されている。
手作りの手すりや、トイレの扉を外して取り付けたアコーディオンカーテンは、元に戻した。
そして介護ベッドのあった部屋には、新たに母の位牌が置かれている。
2年後、この家はどのようなことになっているのか、そろそろ顔馴染みになった業者のお兄さんが、次にこの家に顔を見せる時、またひと通り思い出すのであろう。