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ゴリラとクジラでゴジラ

いつも書いているけれど、自分は、もう結構いい歳だ。

なので世代的に、「最初の方の」ゴジラだのウルトラマンだのには(あと仮面ライダーな)、どうしても無視して通れないものがある。

なにを幼稚なと笑わば笑え。
別に怪獣博士と呼ばれていなくても、はたまたライダーカードを何百枚も収集していなくとも、ただあの時代を小学生男子として生きていたというだけで、これらのコンテンツは、我々世代の血肉となっているのである。

最近しょっちゅうこの手のヒーローものリバイバル「新作映画」が公開される。
いわゆる「シン・◯◯」映画だ。
当然我々世代の財布を狙ってのことなのだろうが、わかっていてもそのたびに、「あーもぅ仕方ないなあ」てなノリで観に行ってしまう。
これはもう業のようなものであると思っている。

これでも若い頃のわたしは、ウディ・アレンの映画のファンで「カメレオンマン」だの「カイロの紫のバラ」がお気に入りだった。
他の監督のものだと「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」とか「バベットの晩餐」なんかが推しで、要するにスノッブ気取りなのだ。
本来は。

しかし、子供の頃に刷り込まれた記憶というものは、なんとも強烈で抗い難い。
今リバイバルでウディ・アレンが掛かっても、わざわざ観に行くか微妙なところだが、ゴジラなら観に行ってしまう。

最近のわたしは、山の向こうまでおしゃれな世界を覗きに行ったが、結局、泥臭くも懐かしい、子供騙しの世界に帰ってきてしまった気分だ。
池袋の名画座でタルコフスキーの3本立てを、徹夜で見た頃の自分にはもう戻れない。

もちろん子供騙しとはよく言ったもので、あの頃に夢中になったものも、後から見ればたいして素晴らしいものでもなかった、てなことはよくある話だ。
よくある話だが、なにしろ作っている方も(多分)我々世代なのだ。
絶対ノリノリで作っている。

大人になった我々をそして自分たちを、いかに上手いこと騙すか、これははなかなかに魅惑的な命題に違いないのだ。

大きな展示が終わって、ここ一年分くらいの作品は全部吐き出してしまったので、今は次作に向けての充電の時である、などと理屈をつけて、本日はアトリエでぼーっとしていた。
で、新しいゴジラ映画が上映中であることを思い出し、いそいそ観に行ってしまったので、言い訳にこんな駄文を連ねてみた。

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