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新学期よもやま(その2)
昨日自分が教員だった頃の話を書いて
投稿しようと思ったその刹那、もう一つ新学年のエピソードが頭をよぎった。
新学年の思い出話など、今書かなかったらまた来年の春まで書くタイミングがない。
そこで慌てて、タイトルに(その1)と付け加えたのである。
というわけで(その2)
生徒たちにとって、新年度のハイライトは何といってもクラス替えであろう。
初登校したら即このハイライトがやってきて、ある者は落ち込み、あるものはこれから始まる一年間に心躍らす、大イベントである。
ところでこの新クラス、当たり前だが前年度、春休み前には、担任込みですっかり決まっている。
多くの場合は選択科目と、いろいろな数合わせで、最初の案が出てきた段階で、もうそんなにいじる余地はない。
その僅かな余地の中で、ああ、こいつとこいつが連むとろくなことがないとか、この子の友達は一人しかいないから、一緒にしてやろうとか、そういう、いわゆる配慮をするのである。
で、ある年のことだった。
3学期、もう終業式も近い頃だった。
ある先生が、あろうことかこの新クラスの名簿を机の上に出しっぱなしにした。
そしてそれをたまたま職員室に来た生徒に見られてしまったのである。
見つけた教員が、何とか誤魔化したものの、翌日にはもう噂は広がっている。それどころか、教員の目を盗んで職員室の引き出しを開けるような猛者も現れた。
さてどうしたものか。そんなことどうでもいいといえばどうでもいいのだが、やはり学校というところは、いろいろセンシティブな問題も起こる。
新しいクラスが嫌だから変えてくれとか、春休み中にいってくる親が出るやもしれない。
学年会議で一同モヤモヤしていたのだが、ふとこんな意見が出た。
わかってしまったのなら、いっそ公開してしまいましょう。どうせ当日の朝は、連中は張り出されたクラス名簿の前に群がって、教室に入りゃしない、だったら今から伝えて、当日はスムーズに移動してもらいましょう。
これは目から鱗であった。
要は彼らの興味は、自分が1組か2組かではなく、誰と誰が同じクラスにいるかなのである。
ならばお前は何組だ、という情報だけ先に与えておけばいいのではないか、コミニケーションに長けたものなら、知り合いに片っ端から何組か聞いて回るだろうけれど、それで全体像を掴むのはむずかしかろう、何しろ9クラスもあるのだ。
名簿を見た生徒がいたからといって、一瞬のことだ、到底全部記憶しているとも思えない。置きっぱなしの名簿には、担任名も入っていないし、なら見ていない生徒にも、同じくらいの情報を与えておけば公平というものではないか。
よくよく考えれば少々穴のある理屈ではあるが、なるほど良い考えに思えた。
というか、何より我々は生徒に一泡吹かせたかったのである。
終業式後、最後のHRでわたしは自分のクラスの生徒たちに厳かに宣言した。
君たちも新しいクラスは気掛かりだろう。残念なことにそれでいろいろな噂も出ているようだ。
これはあまりよろしい状態ではないと思う。
なので、今発表しちゃうぞと。
あの時の教室のどよめきは、15年の高校教員生活でも指折りの反応であった。
というわけで、生徒たちはただ自分の新しいクラスだけを書かれた小さな紙切れをくばられ、肩透かしをくらったような顔で、教室を後にしたのであった。
わりと牧歌的な時代の埼玉の田舎の学校での話である。