たぶんH店Tに罪はない
うちの近くにH店Tという、なかなかインパクトのある名前の店がある。
知る人ぞ知る、衣料品を中心にバッグだの小物なんかを売っている大型激安店だ。
この店の特徴は、例えば同じようなお安い衣料品で名を馳せた、UクロやN松屋みたいに自社ブランドで商品を出すのではなく、おそらくは、あちこちで売れ残ったものとか、倒産品とか、その手のものを仕入れて安売りしていることだ。
いや、別に中の人ではないから断言はできないのだけれど、おそらくそういうことだと思う。
何しろ品揃えが絶妙にセンスなく、そして全てが激安の名に恥じない低価格なのである。
ちなみに店が入っているのは、元々中堅のスーパーマーケットだった建物で、現在は1FがH店T、2Fは某100均になっている。
まさに今を象徴する激安ビルなのだ。
真面目に考えると、こういう商形態は、資本主義の徒花なので、決して手放しで褒められたものでもない。
ないのだけれど、庶民はまず食っていかねばならぬ。
悲しいかな、大義は二の次だ。
そういうわけでこの店で、晩年外に出ることも無くなった母親の着るものだとか、寝巻き用のTシャツとか、デザインなんかどうでもいいものは、なんだかんだ見繕った。
あと急な葬式なのに、よれたYシャツしかなくて、ここに飛び込んでことなきを得たのもまぁ良い思い出ではある。
さて話は去年の冬に遡る。
上の階の100均に寄ったついでに、わたしはひさびさにこのH店Tに足を踏み入れた。
正確には踏み入れる直前の、入り口付近のワゴンセールに目を止めた。
何しろ、もともとが激安の店のワゴンセールである、いったいどれだけ安いものがあるだろうかと、好奇心と怖いもの見たさで立ち止まったのであった。
そこで600円のTシャツとか、300円の手袋など、いずれ劣らぬ強者たちのなかで、ひときわ異彩を放っていたのが、お値段980円也のハーフブーツだった。
980円。
これはもう普通の靴の値段ではないが、見た目はまったく普通の靴なのだ。
合皮ではあったが、デザインも無難で安っぽくない。なにより靴底が厚くてしっかりしている。
わたしの靴選びの基準のひとつに、靴底の溝の模様を吟味するというのがあるのだが、このブーツはそれをもクリアした。
そして残っているサイズは、まさに我が足の大きさ……。
べつに靴を買う予定などなかったが、この時わたしは、完全にこの店の戦略にはまっていた。
安さは正義だ。
こうしてブーツは無事我が家の下駄箱に収まった。
そして、それっきり忘れられたのである。
さて、時はめぐり今年である。
長かった夏が終わり、秋をすっ飛ばして冬が来た。
暑い間お世話になったメッシュの作業靴は、そろそろお役御免にせねばなるまい。
しかし代わりに登板すべき冬用シューズは、内側のモコモコした内張りが、まだすこし早い気がする。
さてどうしたものかと、下駄箱をゴソゴソやっているときに、あら嬉や、ひさしぶりに例のブーツと再会した。
もちろん履きましたよ。
新しい靴をおろすときは、いつでも気分があがるものだ。
しかも、その日は仕事でワークショップの講師をせねばならず、立場上そうそう汚い格好もできなかった。
こういうのを渡りに舟という。
新しい靴でキメたわたしは、意気揚々と連続で二講座をこなし、生徒さんのなかなかよい反応になにやら手応えも感じて、気分良く後片付けなどしていた。
ところが最後、運営の事務方にご挨拶、という段で事は起こったのだ。
なにやら足元でキュッキュッと音がするではないか。
そして明らかに足の感覚がおかしい。
わたしは恐る恐る目線を下へ注ぐ
左足の靴底がベロッと剥がれている。
そう、文字通りベロっと、つま先が口を開くように・・・。
その後、恥を忍んで事務方にガムテープをお借りして、補修するわたし。
還暦過ぎたわたし。
目立たないようにと黒いテープを探してきてくれた、事務方にはもう感謝しかない。
うちに帰って右足のシューズを捻ったり伸ばしたりしてみたが、こちらは全く異常なく、ほほ新品のまま。
いくら安くても左右で当たり外れがある靴ってのは勘弁してほしいものだ。
「安物買いの銭失い」という古の格言が頭をよぎった。
令和の世になっても、さすがに度を越した安物には気をつけようと心に決めた秋11月である。