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人生の休暇[自己紹介とこれまでの話]
はじめまして。
建築家を一心不乱に目指している中、脱線してしまった30歳男性の記録。
診療内科では適応障害の診断をもらったが、自分では明確な原因が不明瞭。
noteをきっかけに自身を理解し受容する目的とし始めてみます。
また、同じ境遇の方からコメントをいただき、
自分を理解するきっかけにしたいと思っています。よろしくお願いします。
●自己紹介
年齢:1994年生まれ(30歳)
出身:愛知県
職業:建築物の設計
婚姻:未婚で同棲中(5年間)
●生い立ち
幼稚園_とにかく行くのが嫌だった。できないことがあると号泣。
小学校_一時期自身の行いが問題で虐めにあい、大きなショックを受ける。
中学校_勉強より友人との遊びを優先。学力が大きく低下。
高校_何とか私立へ推薦入学。勢力の強いグループにしがみついた青春時代。
大学_幼少期"劇的ビフォーアフター"が好きだった事を思出し建築学科へ。
大学院_研究室にも恵まれ、のめり込んだ結果大学院まで進むことに。
院卒業後は、在学中に関わりのあった、東京の設計事務所へ就職。(2018/4)
今思えば、自ら積極的に選択したというよりは流れを優先したように思う。
●1回目の精神的な不調(2020/7)
就職の初日から鳴り響く電話。とにかく忙しい。こんなに大変だとは全く思っていなかったが、将来の夢を叶えるべく盲目的に限界まで働いた。
2年半間在籍していたがなんとなく出社できなくなる。
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出社できない理由を明確にする事をせず、上司には「会社に行けない」という、かなりのパワーワードをメッセージで送りつけ、私は音信不通となる。
その後会社からの連絡もなかったため、
自宅にひきこもり2ヶ月が経過した。
"この時すでに同棲中。ふつうは同居人が急に会社に行かなくなったら
矢つぎばやに原因を聞いたり、生活を心配するものだが
パートナーはなんとなく精神疾患だと感じ静観してくれていた。"
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このままでは流石にまずいと思い、休職の意思を会社に告げるべく
心療内科へ行き診断書をもらう。
当時私は「精神疾患なんかではなく休職するために診断書をもらうのだ」
と強気な姿勢だったと思う。
心境としては「ただ働きすぎて疲れただけだという感情」と「乗り越えられなかった自身を攻撃する感情」が同居していた。
そして、診断書と休職の意思を書き留めた手紙を郵送したが、
翌日には、会社から封筒が届いていた。
返信にしてはあまりに早すぎると思いながら開封すると解雇通知。。。
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あっけに取られたと同時に心から大きな重りが消え去った。
「もう自由だ。先の事を考えよう。」
出社できなくなったあと、始めて前向きな考えが生まれた。
"その後、会社の人事担当と話した際、私の診断書と入れ違いで、会社も解雇通知をおくっていたそう。会社としては、無断欠勤が連続したため
しょうがなく解雇通知を送ったそうで、私の診断書の送付がもう少し早ければこのような状況にはなっていなかったのこと。"
無断欠勤をし会社との連絡をとることからができなかった私が全面的に悪いと思ったこと、またこの会社があっていなかった事を痛感したため、
結果的には、自己都合退職という形で幕を閉じました。
当時のことを思い返すと、建物規模の巨大化により関係者が増加し、
全てを自身でハンドリングしようと試行錯誤した結果、自分と他人の境界がわからなくなり、全ての問題が自身の「悪」だと思っていました。
また将来を焦って他人と比べ、
追いつくためには働くしかないと思い自爆したようにも思います。
今思えばこのときから適応障害は始まっていたと思います。
会社という大きな原因が消えたことで回復の兆しが見えました。
しかし、当時は「心療内科なんて精神力がないから行くのだ」とか
「恥ずかしい」「人生が終わってしまう」というような考え方だった事
を反省しています。
(そして、この後2回の休職が待ち構えています)
次回は、適応障害と気づかず焦って再就職した結果、、、
の話をしたいと思います。