【書く習慣】書きたいことが無限にある私のコト
◆書くということ
「書くこと」が好き。
それは、幼少期からだ。
頭の中にぶぁーっと文字にならない言葉が溢れて、それを文章に落としていく。
私の場合はそんな感覚。
みんなそうだと思ってた。
小学校の作文で、「何を書こう?」と悩んだことがない。
そう言うと聞こえは良いけど、文章がうまい訳ではないから不思議だ。
先生から「今日の作文のテーマは"自由"です。」と言われたとき、大抵のクラスメイトは「えー」「どうしよう。書きたいことが思いつかない」と言っていた。
でも私にとっては、ものすごく嬉しかった。
頭の中にたくさん浮かぶことを、原稿用紙何枚にも渡って書き連ねた。
人より速いスピードで、たくさん書くことが得意だった。
でも頭の中で"文章"になっている訳ではないので、冒頭と結末がうまく合わないことがある。
その他にも文章中に後から修正したいことが出てくることにも気がついた。
だから小学校高学年くらいになると文章を「編集する」と言うことも好きになった。
そうして必然的に、将来の夢は「編集者」と言うようになった。
◆本を読むということ
編集者を夢見たのは、書くこと以上に「読書が好き」だったことも大きい。本で読んだ「言葉」や「表現」を使って作文を書いていた。
母親の本も借りて読んでいたので、大人びた表現であってもとにかく頭にあるモノを全て作文に落とし込んでいた。
そして、ひとつの作文の中で、同じ表現は使わないようにも心がけていた。いつもコレと似た表現はないか?言い換えができないか?と考えていた。
◆話すということ
でも私は書くことだけが好きな訳ではない。
実は「話すこと」も好きなのだ。
話すことについても書くときと同様に、頭の中に浮かんだ、たくさんのことをマシンガンのように喋っている。話の着地点を見失うこともしばしば。
旦那に「よくそんなに喋ることあるね。」と言われることもしばしば。
旦那がどんな返答をするかまで、先回りして喋っている。これは人によっては不快感を与えてしまうことかもしれないので、他の人の前ではしない。
高校生のとき、私が「この話は今日しようと思って、昨日から考えてた」と言うと、友達に「いつも何を喋るか考えているの?」とびっくりされた。
私の普通は、他人の普通ではないことを知った。
◆絵を描くということ
そしてさらには、「絵を描くこと」が好きだ。
これは「書くこと」と「話すこと」とはまた違って、頭の中に案が浮かび上がってくることはあまりない。
「絵が描きたいな~」という漠然としたお絵かき欲から始まって、何が良いかを冷静に考えている。
大人になってからはいよいよ、急には書けなくなって、描きたい物の手がかりをネットでリサーチしてから描いている。
小学生の頃は授業中に、マンガに出てくるような女の子をひたすらノートに描いていたけど、いまはその欲求がもうないから不思議だ。
ここまで書いていて悲しくなってくるが、私は幼少期に描いていた「編集者」と言う夢をまだ叶えられていない。
後になって気づいたが、少し作文を誉めてもらえたからといって満足するようではなれないみたいだ。
その「書く」と言う技術を磨いたその先の狭き門を叩かなければならなかったようだ。
もう大人になってしまった私は、これからどうするのかを"書きながら考える"しかない。
そんな私って変わっているのだろうか。
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