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どうするも何も。映画『どうすればよかったか?』鑑賞
私の弟も統合失調症である。
私の母もこの映画の母親のように認知症を患った。父は母より先に逝ってしまったが。
この映画は藤野知明監督の家族のドキュメンタリーである。
監督の姉と父、母の生々しいやり取り。姉の発狂。父と母の噛み合わない責任の押し付け。
日常を撮影するために最初家族のイベントを撮ることを理由にカメラを回していた。
当事者の弟である監督がこの病気について問題提起しているわけではない、とあえて字幕で述べていた。
観ている側からすれば、もっと早く治療をしていれば症状は悪化しなかったのでは?と思う。
長年放置してから手に負えない状況で入院させたにもかかわらずまるで憑き物が消えてしまったかのように改善したのは大変不謹慎であるとは思うが、母親がいなくなったからではないか、と感じてしまった。
私の弟は中学時代、からかいから始まったいじめが原因で引きこもりになった。
母は不登校だった息子の代わりにわざわざ学校まで卒業証書を受け取り、罵声を浴びて行くのを嫌がったアルバイトの給与を職場まで受け取りに行っていた。無職の弟が運転免許を取得すれば車を買ってあげたりしていた。
藤野監督も言っていたが、本人より親が先走りしてしまうのはよくない。
本人を差し置いて口を出したり何かをしてあげたりするのは子どもの自立を阻む上に本人のフラストレーションが溜まる、ということを親が理解していないのだ。
父親は母親の言いなり、というか、あまりに存在感がない。私の父も為す術もなく途方に暮れていたように思う。父は身体を弟に蹴り上げられても静かに耐えていた。それが原因なのか短い間ではあるが父も精神科に通っていたことがある。
私の両親はもういない。私の弟はとりわけ父よりも母が亡くなった方が喪失感が大きいようだ。
私の弟よりも監督の姉の方が症状が酷く感じられたが、両親とも娘における自分たちの対応をあまり後悔していないように見えた。
晩年の父親が(娘への対応が)失敗だと思わない、というのならば監督が「どうすればよかったか?」と私たちに問うても、冷たい言い方をすれば「どうするも何も親がそうしたからこうなった」という他にない。
私自身も何かできることがあったのではないか、と思う時もあった。しかしこれは家族内だけで解決できる問題ではない。家族が隠そうとする限り外側からはなかなか見えにくい。
しかしこれからは精神を患うことを恥じている場合ではない。
誰にでも起こりうる問題だからだ。