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教え子が母校の教師に

 月・火曜は学校教育の話…なんですが、今回は自分の実践とは関係ありません。ちょっと(いや、かなり…いや、メッチャメッチャ)嬉しかった話をさせていただきます。
 札幌市では、「札教研」なる教育研修団体があります。札幌市の教職員は強制的に参加させられる団体で、まぁ、個人的には言いたい事が沢山あるのですが、それは今回置いておきます。
 令和6年6月11日(火)、その札教研の「春の研究集会」なる会議がありました。令和6年度は初の試みとして、中学校区の小中学校で授業を参観し合い、中学校に集まって交流する…と言う内容です。私の勤務地ですと、H中学校とHK小学校とHN小学校の3校が交流する事になります。
 因みに、このH中学校…私の母校です。私が通っていた頃は床も窓枠も木製で、冬には隙間から雪が入ってくるような学校でしたが、今は鉄筋コンクリートの校舎になっていました。もう、昔の面影は全くありません。
 それで、交流を終え、会場を出て廊下を歩いていた時です。中学校のM先生と言う方が声を掛けてきました。
 「エスせん先生って、もしかして、北海道師範塾にいませんでしたか?」

 実は私、北海道師範塾と言う教育研修団体に所属していた事があります。そして、「教師養成講座」と言う、教職員を目指す方々を支援する活動に関わっていた事があるのです。中心メンバーとして活動した時期も3年間ほどあり、その頃の教え子は50名ほどが、小・中・高・特別支援学校の教師になりました。
 ただ、残念なのは、その後、病休に入ったり、退職したりした教え子が少なくない事です。私が知っている範囲だけでも、何だかんだで、2割近くが病休や退職しています。もう本当に、残念で、残念でなりません。

 話を戻します。
 正直に言うと、M先生については交流中から、「何とな~く見覚えがあるんだけど、誰だったかなぁ」と思っていました。だから、直ぐに、「あ~、教師養成講座の教え子だ!」と分かりました。
 私が教師養成講座で教えてから、もう10年以上過ぎています。その時の教え子が今も教師を続けている…きっと大変な事や、苦しい事も沢山あったあずです。もしかしたら病休に入った事はあるかもしれませんが、それでも、この日まで退職せずに教師を続けていたのです。
 いや~、嬉しい! \(^o^)/
 嬉しい気持ちでいっぱいになる出来事でした。

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