柄谷行人を読む 政治的ロマン主義について 哲学の起源 世界共和国へ
柄谷行人氏のものを読むのはひさしぶりだ。
かれは私が学生の時分、文芸批評における第一人者と目されていたので、新刊がでるたびによく読んだものだ。しかし、かれがしだいに社会思想家の相貌をあらわすようになってから遠ざかった。それはかれの責ではない、自分の身一つままならぬ私には、天下国家のことを考える余裕も必然性もなかったのだ。
そんななか、私は柄谷氏の個人講義に参加したことがある。たしか新宿のホテルの一室だったと記憶するが、十人ほどの真面目そうな聴講者があつまっていた。細身のモッズスーツを着用していた私は、みごとに浮いていた。十回くらいの連続講義の途中一回だけ、どうしても都合が悪くなった同級生の友人に頼まれて、身代りとしてでたのだ。
柄谷氏は、ジョークを交えることもなく、終始真剣な面持ちで「交通」という概念について、マルクスに言及しながら語った。私も友人に対して報告義務を負っているので真剣に聴いたのだが、何のことやら皆目わからなかった。この人は何のためにこういう話をしているのだろうかと考えているうちに、講義は終了した。
私はますます遠ざかった。それでも目にすれば、折にふれて、かれのものも読むことはあった。政治活動に乗り出したことも、人づてに聞いた。しかしそれも、遠い異国の出来事のような印象しかもてなかった。
そんなわけで福田恆存や三島由紀夫とちがって、もともと対象と十分に距離がとれている。むしろこちらからいくぶん歩み寄る必要がある。
ひさしぶり読む気になったのは、『人新生の「資本論」』を読んだとき、私の記憶にある柄谷氏の所論と似ているな、とおもったからだ。「福田恆存を体系化する」のために、社会思想における主要著作を読破したいまなら、かれの主張を理解できるのではないかと考えた。
二人が端的に似ているのは、未来の在るべき社会として「アソシエーション」を想定していることで、そりゃ両者ともマルクスに学んでいるのだから当然なのかもしれないが、とにかくそれは私の「最新知識」でいえば、テイラーのような「リバタリアン」という思想傾向をを示唆するものであろう。
で、今回は、『世界共和国へ』と『哲学の起源』を読んだ。
『世界共和国へ』
まず第一に、柄谷氏は、私がむかし学んだ「交通」を、「交換様式」という概念に発展させていた。それはABCDの四つに分類される。それぞれ「互酬」「再分配」「商品交換」「X」と定義される。いうまでもなく、かれが重視するのはDの交換様式である。
Dは、商品交換を前提とする自由主義経済の枠内で、利潤をもとめない交換を可能とする様式であり、アソシエーションはその様式を基礎とする社会制度ということになるのだろう。
「これは現実に存在しているわけではないが、つねに理念としてありつづけるような形態です」という言葉から、交換様式Dは、柄谷氏の基礎的原理であることが解る。
ざっくりいえば、柄谷氏は、平等で自由で争いのない平和な社会というものを理想としており、その実現の鍵となるのが、「交換様式D」ということになる。それを梃にして理想社会を実現することができるとかれは踏んでいる。
しかし現実に存在しないものを契機として、現実に存在しない社会をはたして実現できるのか。(注1)
ところが、できる、と柄谷氏は自信満々に語る。そしてかれは、もう一つの鍵となる「資本=ネーション=国家」という概念を導入する。その新たな枠組み自体が「交換様式D」を要求し、その発展段階においておのずから理想社会への道筋をつくりだすということのようだ。
もちろん柄谷氏もそれが、魔法のように、一挙に実現するなどとはいってはいない。そういう目標を設定して、そこにむかって漸進的に歩むべきだと主張しているのである。
したがって議論は、「資本=ネーション=国家」という概念の中身と、その妥当性へとうつってゆく。
この三者はそれぞれ別の原理によって成立するものではあるが、それぞれが三つ巴の対等な関係性を有し、三位一体となって作用することで意味をもつ、とされている。
ひっかかるのは「ネーション」である。私の読んだ範囲では、その厳密な定義はなされていない。わざわざこれだけ外来語が使われているわけだが、どうもそれは国家でも民族でも、共同体でもないようだ。「主体としての国民(ネーション)」という箇所があるので、「国民」にいちばん近いのだろうが、べつのところでは「互酬的な共同体」といわれ、それは「想像されたもの」だとされている。
私の感触では、ルソーの「一般意思」と似た概念であり、どうやら、主体的な個人の互恵的な社会を意志する集団的な精神的態度のようなものを意味しているようだ。三者のうちで、この「ネーション」が「アソシエーション」へとすすむ鍵となるものであるとみなされていることはまちがいない。
いずれにしろ「資本=ネーション=国家」のグローバルな将来像としては、カントのいう「世界共和国」へといたるのがのぞましいといわれている。それはカントの提唱した国際連合というよりも、アメリカ合衆国が世界をくまなく覆っているような状態のイメージで、世界各国が主権を中央政府に譲りわたすことが条件となっている。軍事力を一か所に集中させるわけである。
世界共和国樹立の下で「交換様式D」は実現し「アソシエーション」は成立する。
こうして見てくると、柄谷氏の提出している原理は、それぞれの公理がたがいを支え合う構造をとって成立するものである。はたしてそれが力学的に可能なのか。ほんとうに「道筋だけははっきりしている」といいうるのか、私にはどうも「はっきり」しない。私の頭が明晰でないせいかな。
かりに「世界共和国」ができたとする。しかしそこにはクーデターやテロ、叛乱が起こる。またぞろ戦争が勃発する。それを防ごうとおもえば、中央政府の徹底的な「ネーション」の管理がもとめられる。それは独裁的な軍事力を背景としてなされる。それが「理想社会」の結末だ。私の歴史的想像力は私にそう告げる。
レーニン主義や毛沢東主義とどこがちがうのか。
ドストエフスキーが「大審問官」において提出した問題を、「資本=ネーション=国家」の枠組みは乗り越えることが可能なのか。
疑問は尽きない。
『哲学の起源』
この本は古代ギリシャに取材して、私が上にのべた疑問に答えるものである。
柄谷氏はここでは、「交換様式D」を基盤とした「アソシエーション」の実例として「イソノミア」という概念を提出する。「磯の宮」ではないよ。
かれによればそれは、イオニアのポリスに実在した「無支配」を意味する歴史的概念であり、自由で平等な「互酬」的社会体制である。その背後には、イオニアの自然哲学がひかえている。
柄谷行人氏は、この「イソノミア」という政治概念を駆使して、古代ギリシャの政治的精神史を再構築しようとこころみている。かんたんにいえば、アテナイの民主制は「イソノミア」の堕落した形態にすぎず、さらにポリスに内在する反動性ゆえに、ついには「アソシエーション」の理想を徹底的に破壊してしまったというわけである。
こちらは新書版ではないので、さすがに緻密な議論がなされていて、はなはだ読みごたえがある。とくに、パルメニデスとゼノンの章は圧巻である。かれはカント的なアンチノミー論の枠組みを利用して、かれらの所説を鮮やかに剔抉している。どこかで読んだような気もするが、柄谷氏の行論は優雅に美しい。
だがしかし、かれらやヘラクレイトスを、イオニア自然学と「イソノミア」の復興を意図する者であるという断定には納得できない。(注2)
ヘラクレイトスとパルメニデスはまったく似ていない。だが共通する点が三つだけある。
第一に両者ともに、貴顕の出身であること。第二に、同時代の一般的な思潮に絶対的な否定の声をひびかせていること。第三に、二人とも、自然の摂理にロゴスの作用を想定していたこと。
この三点から、私はかれらがいわゆる「哲学」を創始したと考える。まあ、それはいいとしても、かれらは素朴な唯物論であるイオニア自然学に対して、おそらく古臭く原始的な思考だとみなしていたとおもわれる。
「イソノミア」の実体を記録する文献はない。柄谷氏がそれに類似する実例としてあげている中世アイスランドや、建国当時のアメリカ合衆国の事例をみるかぎり、私の観点からそれは、国家形成へといたる前段階としての小規模な一過程としてうつる。
たとえば私のイメージするそれは、信長に征服される前の貿易都市・堺である。「無支配」とはいえないが、町衆による「アソシエーション」によって運営されていた。その自由な気風は中世的価値からの脱却と桃山文化を生みだす母胎となった。
イオニアの植民都市においてもそうした自由が横溢していたことだろう。しかし私は、こうした「自由」を柄谷氏のように政治的な視点からのみとらえることは、「自由」の真の意味を矮小化することにしかならないとおもう。
当時のイオニアにあらわれている「自由」は、根強い旧秩序が身の丈に合わぬものとなり、またそこからの脱却をめざす新しい世界観を産みだしうる準備の整った歴史的段階だけがもつ、特有の「自由」である。そういう根底的・全人的なものであったからこそ、そこから社会形態や経済などの政治的なものだけでなく、自然学や文学も生じた。
そのように見るとき、「イソノミア」の実在はありそうなことだと、私もおもう。それが柄谷氏のいうような「無支配」であるかどうかは別にして。
ソクラテスの問題
柄谷行人氏の立論は、ソクラテスの項で頂点に達する。かれもまた、「イソノミア」への回帰をめざし、アテナイの民主制を否定する政治的人物として規定されている。
ソクラテスはアテナイ人でありながら、それ以上にコスモポリタンであったと、柄谷氏はいう。
だとすればなぜかれは死刑判決を甘受したのか。コスモポリタンなら、他国への亡命を拒否する理由はないはずだ。チャンスはあったし、状況から見て、政府もじつはそれをのぞんでいたのではないか。
しかしソクラテスはアテナイにとどまった。私は当然、かれが愛国者であり、アテナイの民主制の根幹をなす法体系を破るつもりはない、という意思表示としてうけとっている。
柄谷氏は私の疑問に対して、次のようにいう。
つまりソクラテスは、「ポリスの中にありつつコスモポリタン」であるために、亡命を拒否したというわけである。それならば、「コスモポリタンでありつつポリス的」であるならば、亡命したのか、とつっこみを入れたくなる。
柄谷氏は「公と私」という区別を導入することで、自説を補強する。「真に公的であるためには、国家を超えた私人でなければならない」といい、「コスモポリス的」とはそういう意味として提示されている。
ソクラテスはダイモンの声によって、「公人」であることを禁止されていたのだが、そうして「私人」に徹したことがソクラテスを「真に公的」な存在にしたと、柄谷氏は認定したいのだろう。
ソクラテスはアテナイの民主制には通暁しているが「イソノミア」なんて知るよしもない。それでもこの本では、こんな調子で、どこを切っても、金太郎飴のように「イソノミア」がでてくる。
そもそも、公職につくなというダイモンの声が、どうして「ポリスを公人と私人の区別のないようにせよ、という指令を含意する」ことになるのか、つまびらかでない。
のみならず、「私人として活動せよ」という命令は、「公人と私人の区別を失くせ」という目的に背理する。それは、「必ず右に行け、しかし、左右の区別はするな」というのと同じだ。
『弁明』を読むと、政府の不当な決定を拒否するためには「私人」であるべきだという意味において、ソクラテスは公人と私人を明確に区別し、その効用を説いている。
ソクラテスの念頭にはいつもアテナイしかない。かれが世界市民であったという傍証はないし、それ以前に、ソクラテスはみずからのパースペクティヴにおいて、遠き推定的なものよりも近き確実なものを重視した。かれの生涯のテーマは「汝自身を知れ」だったからだ。自己は私にとって最も近き存在者である。
ソクラテスが最期までアテナイにこだわったのは、そこで生まれそこで育ったからだ。アテナイはソクラテスの一部であり、ソクラテスもまたアテナイの一部だった。
ソクラテスが偉大な存在として歴史に聳え立つのは、端的にいって、それまで自然や他者など外部に向けられていた探究の視線を反転させて、内部に――自己に向けたという、歴史を画する転換をなしえたからである。
かれは、「ただ生きるのではなく、よく生きる」ことが人間の責務であると考えた。そしてそのために、「知」を愛し、「徳」を探究した。「魂をすぐれたものにする」ことをもとめたのだ。
ソクラテスはいっている――「人生をいかに生きるべきか」これ以上に真剣な問いがあるだろうか、と。(『ゴルギアス』)
柄谷行人氏はかたくなに、ソクラテスの対話をあくまで政治活動の一環としてとらえる。「他者に対する倫理的行為」が「ポリスの問題、政治の問題」として考えられているからだ。
『弁明』の中で、ソクラテスはどうしてアゴラでの対話をするようになったかという経緯についてみずから語っている。
まず、デルポイの神託がある。それは「ソクラテス以上の知者はいない」だった。かれは驚く。なぜならばかれは、自分を「知者」であるとはこれっぽっちも考えてはいなかったからだ。
そこでかれは神託の意味を知るために町に出て、一般に知者だと目されている人物をつかまえては、議論をいどむようになった。しかしかれらは誰も、最初は自信満々なのだが、ソクラテスのくりだす質問にしだいに追い詰められて、最後には、自分が何も知らないことを認めてしまう。その結果、ソクラテスはついに解答にたどりつく、
これがソクラテスの生を支えていた根本的確信である。
かれはその確信を深め、また市民に知らしむるために、「アテナイの虻」といわれながらも、嫌われ顰蹙される対話をつづけた。そしてそれを、かれ自身、「神への奉仕」であるとのべている。
つまり、ソクラテスの営為は、政治目的につかえるものではなく、神につかえるものである。神、あるいは真理の前に謙譲であること、みずからを足らざるものであるとする自覚が「よく生きる」ことにつながる――そうした「徳」をめざす、終わりなき絶えざる歩みだ。
ソクラテスは、つねに神という絶対者と対峙していたのであって、それを「ポリスの問題」や「政治の問題」に限定することは、無理な相談ではないか。それは神をも「政治」に限定することだ。
ダイモンの声は、政治的なお告げなどではなく、もっぱらソクラテスのエゴイズムを抑制する原理としてはたらいていたと考えるのが妥当であると、私は考える。
だからこそかれは、有力者をたてつづけに論破しながらも、それがいささかも自我拡大欲にむすびつくことなく、世俗の栄誉を避け、みずからを「論破王」などと自賛する愚行から免れることができた。
軽くみてはいけない。自尊心や承認欲求を抑制することほど、人間にとって困難な課題はないのだ。
もしかりに柄谷氏がソクラテスと対話するならば、「イソノミア」もこなごなに解体され、大いなる無の裂け目に飲み込まれてしまうであろう。かれだけではない、プラトンの「イデア」にだって同じことがいえる。ソクラテスの手にかかれば、どんな概念だろうとアポリア―に追い込まれる。
ソクラテスとは、空前絶後の、純粋な批評家なのである。アポロンの神託は、現代においてもいささかも変らぬ真実であると私は考える。
「政治」を超えるもの
さて私は、『哲学の起源』を「イソノミア」の金太郎飴だといった。それは、柄谷行人氏の頭の中が、どこを切っても「イソノミア」の金太郎飴状態であるからだ。これからは、かれのことを、「磯の宮」というコードネームで呼びたいくらいである。
しかしそんなこといいだせば、私だって、どこを切っても、「絶対者」や「パースペクティヴ」の金太郎飴かもしれないのである。
『哲学の起源』は、古代ギリシャ精神史についての穏当な解説書ではない。反時代的考察であり、論争の書なのだ。
私の知る柄谷行人は社会思想家や哲学者であるよりもまず、文学者であり批評家だ。そのかれが、自分が金太郎飴であることを自覚していないわけがない。おそらくかれは、誤読だとか「トンデモ」だとかいわれるのを重々承知の上で、覚悟をもって強引すぎる論理構造をもつこの書を世に送り出したのであろう。
若いころから心の奥にあたためてきた政治理念を、のこり少ない人生の時間が燃え殻となる前に、少しでも実現に近づけたいという強い信念が、柄谷行人を衝き動かしている。それは政治理念への献身であり「奉仕」なのだ。
そう、かれは政治的ロマン主義者である。柄谷氏のファンは、そこに深い感銘をうけている人たちなのだろう。
だがそれでもなお、すべての課題を政治の地平で処理しようとする柄谷行人氏の方法論に、いかにしても私は同意できない。それは私の生を支えるものとはならないばかりか、柄谷氏のめざす政治理念においてすら、それを成立させ、維持しうるいかなる原理もそこから引き出すことはできないと信ずるからである。
資本主義であろうと、「イソノミア」であろうと、全体主義であろうと、どのような社会体制の下でも、人は「いかに生きるべきか」を問うことができる。あるいは、天体の運行がどうだろうと、素粒子がどんなものであろうと、「ある」という存在様態が何であろうと、人は「みずからの魂をすぐれたものにする」よう心掛けなければならない。
すなわち、「内部」は「外部」に優先し、「自由」は「条件」に規定されず、「魂」の課題は「政治」を超越する。
それがソクラテスの人類に発した千古不磨のメッセージである。かれはそれを、みずからの死をもって訴えたのである。