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【散文】二人の距離は2時間分

『おはよ』
それだけのメッセージの通知音で起きた私は、同じボリュームでかつ全く同じにならないように返信する。
『おはぁ~』
内容のないやり取りにも慣れてしまって、いまは続けなければという義務感のみで続いている。
朝ごはんは、今日の自分を鼓舞するために外で食べようか。
コーヒーとパン。シンプルがいいのだ。

電車はなんだか面倒で使いたくないから、通勤はロードバイクで30分。
いつもより1時間早く家を出て、途中のカフェに立ち寄る。
入口の扉に設置された鈴が、カランカランと鳴り、店内からは焼けたパンの匂いが顔を出し、私の体を包んでいく。
「モーニングAセットで。」
愛想もなく端的に伝えたはずなのに、店員は「はーい、いつものですね!」と楽しそうに返してくる。
営業スマイルだということはわかっているし、覚えているのも仕事だとは思うのだが、嫌な気はしない。
その対応は嫌ではないのだが、愛想のない自分が恥ずかしい気持ちになってくる。

机に到着したコーヒーの香りを浴びながら、文庫本を開こうとして、やっぱり先にスマホを取り出した。
すこしだけきれいにお皿を並べて、写真を撮る。
『今度の休日、一緒にモーニングしない?』
さっきの返信に既読はついていなかったが、写真とともにそう送ってみた。

ーーーーー

3時までかかった作業を終わらせ、お風呂は明日にしてもう寝てしまおうと勢いよくベッドにダイブしたはいいものの、明日が早いと思うとどうしても眠れない。これはやばい。本当にやばい。肌は荒れるし、顔はむくむし、寝不足になるとお腹が空いてしかたがなくなる。
そもそも3時まで起きていた時点でよくないのだけれど、外見を保つことだけは自分を許すための最優先事項なのだ。

とはいえ、昨日の予定をドタキャンして頑張ったのに、3時になってしまったことが情けない。私なら0時までには終わらせられたはずだ。……いや、本当に仕事ができる人はドタキャンなんてせず、どちらもこなすのだろう。

こんなご時世だから、結婚や出産が贅沢品であることをみんな知っていて、セクシュアリティや多様性も当たり前になってきたから、わざわざ面倒なことを聞く人はいないけれど、それでも無言の圧力で『結婚』の二文字が浮かんでくることはある。
生まれた時から美しくて自分にとっての最善を尽くせるタフな人が成功していくんだ。
平凡な女が、美貌も財力もないのに誰かに大切にされたいなんて、傲慢すぎるのだろう。

いやいやいやいや、こんなどうでもいいことに思考リソースを使うつもりはなかった。今は寝ることに集中しなければいけないのに。

時計を見たらもう4時をすぎていた。
一生懸命やっているのに、なにが間違っているのだろう。
みじめさと無力感、孤独な心を、悩みの一つである相手にぶつけようと、メッセージを4行ほど入力して、やめた。
早朝に長いのはうざい。私でもそう思う。
『おはよ』
その言葉にとどめ、意識を手放した。

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