介護をしている全ての人へ
はじめまして
サラリーマンとして働きながら、両親の介護を経験しました。
親不孝ばかりしてきましたが、身近な人々に支えられながら病気と闘い続けた母と私の経験を綴っていきたいと思います。
母にがんが見つかったとき、病はかなり進行していました。ステージⅣの宣告を受けた時に胸に去来した感情は、悲しい、寂しいではなく、なぜ気づけなかったのかという後悔でした。
帰省した時や、電話で話をした時、出来の悪い息子を案じる言葉以外に聞く話といえば、「股関節が痛む」「最近疲れやすくなった」「時々不安で眠れない……」といったことでした。息子の前で弱音を吐くようなことはなかった母が漏らした弱音を、よくあるお年寄りの「愚痴」程度にしか感じられなかったことが悔しくてなりませんでした。
このコラムでは、私と母の日記を比べながら、病気で苦しんでいる本人と看病をしている家族の交流や葛藤を綴っていきたいと思います。
がんの宣告を受けた2018年の秋の翌年、2019年の元日からお話を始めたいと思います。
2019年1月1日(母の日記)
息子(長男)が帰ってきた。病院勤めをしている〇〇(次男)は忙しいらしく、なかなか帰って来られない他人の看病じゃなくて親の看病をしてほしいなんて言ったら、罰が当たりそう。
朝は、長男が通信販売で買ってくれたおせち、昼間は年末にニトリで買ったチーズフォンデュの鍋をおろしてチーズフォンデュもどきを作った。夜は、お寿司をごちそうになる。おせちもお寿司もうれしいが、だいぶお金を使わせてしまった。
いいところを見せようと必死なのが痛く感じる。
食べすぎたか夕方腹痛あり。
年賀状30枚まだ手付かず。
2019年1月1日(私の日記)
節約のため朝いちばんのローカル線で〇〇駅を出発。寒いし眠い。
おせち料理、喜んでくれた様子、奮発してよかった。昼のチーズは少し胃もたれしたが、おいしかった。
寿司屋では、食欲がなさそうだったのが心配、イカ、タコ、かんぴょう……安いネタばかり頼んでいた。財布の事情を気にしているのか……
(母の)体調はわりと良さそうに見えた。がんなんか消えてしまえばいいのに。