Bon Jovi - Livin' On A Prayer / リビング・オン・ア・プレイヤー - 1986
そう言えば、ボンのライバル・ヨーロッパは取り上げたものの、肝心のボン・ジョビがまだでしたっっ
いやさ、8月にこのblog始めたときに、一日ひとつの記事UPと目標にしていたものの、あれもこれもこの曲についても、あのバンドやシンガーのことも語りたい!! みたいなことがあふれちゃって、一日一投稿では間に合わん!
…と、一日二回更新にしたんですけどね。
それでもまだ、ボブ・ディランもジャニス・ジョプリンも、リンダ・ロンシュタットもエルビスもマイケルも、取り上げてねーぞって人ばかりっっ ※記事の転載が前後してます
ボンも取り上げるのが遅くなっちゃった〜なバンド。
いやさ、そんなに書き急ぐことではないのですけども…仕事じゃないし。単なる趣味で勝手に書いてるblogなんだからさってホント。
さて、ボン(盆)の話に戻るかー
「Runaway / 夜明けのランナウェイ」1984
このMVの女の子が、ビジュアル的にイマイチ。なんか映画「フェノミナ」っぽい<いみふめ
映画予告「Phenomena」
というか~ホラーかオカルトか!…って感じなんだもんっっ そこが不満でしたねー
どうせなら、当時のジョンの彼女(ダイアン・レイン)に出てもらえばいいのにって思ってた。
ボンがデビューしたのは、1984年で今は2020年ですから、36年も経ってて今も生き残っている彼らは超ベテラン。
なのに、90年代に入ってから、洋楽をほとんど聞かなくなった私にとって、ボンはデビューして数年経ったバンドのまま。彼らが新人のまま、そこで記憶が止まってたんですねw
ベストヒットUSA 40周年SP ~Jon Bon Jovi~ 1
なので、あの「若造たち」みたいな感覚だったっっっ笑
まだ頑張ってたんだー
こんな大物になって…って、なんか目を細めてしまう私はいつの時代の人間よ。
「It's My Life」2000
この曲の時点でも、結構年取ったなーって感じまする。
そして歌詞に「リビング・オン・ア・プレイヤー」に出てきた、トミーとジーナが出てくるのがファン泣かせ。たまりません!
Frank Sinatra「My Way」1969
そして、誰もが知ってると思う今更なことですが…
歌詞に出てくる「フランキーもそう言ってるぜ!」な、フランキーとはフランク・シナトラのことで、曲のタイトルもエバーグリーンな彼の代表曲「マイ・ウェイ」に因んだものです。(若者がうんざりする親父のカラオケ曲No,1)
で、フランク・シナトラって、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドのバンド名の由来にもなっているように、そんな風に揶揄されちゃうような人物でもあったり(いちおうリスペクト?されてるって、いうことにしておこうか…)
けど、このMV。大型トレーラーのシーンがめちゃハラハラしますねー CGつか合成なのでしょうけどもっっ
「Livin' On A Prayer」1986
でもって、ボンと言えば、やっぱコレー
私はリアルの頃は、アルバム三枚目までレンタルでダビングして聞いていましたが、その後はブランクあって聞いてなくて…まあ、その三枚目に入ってた曲ですね。ボンを代表する曲と言えばまずこれ、ライブでも盛り上がるしね。
この曲のイントロを聞くとやっぱりワクワクするし~MVが始まると「おっー!!」ってテンションが上がるし~
「わぁーいっ」ってニヤついて、ヘドバンしてノッてまうw
ロンドンの地下鉄でボンジョヴィの名曲を幾日も熱唱するおじさん 、そしてその後の幸せな展開
「You Give Love A Bad Name / 禁じられた愛」1986
これも同じアルバムに入ってましたね。この曲もすごく好きー キャッチーだけどそこがいい。
して、ボンはやっぱり日本で最初に人気に火がついたバンドなので、日本を大事にしてくれてます。
Bon Jovi: Live at Super Rock '84 in Japan
んでもって、来日して東京公演をするときは彼ら、椿山荘フォーシーズンズホテル(当時。今は藤田観光に戻った)がお約束のお宿なんですけども…ライブ終わってから夕飯ってなったとき、時間が遅いんで、六本木のハードロックカフェか、江戸川橋駅近の某中華料理店しか選択がなくなるらしいのです。
はい。椿山荘の最寄駅はオサレーな目白でも、護国寺でもなく、江戸川橋なんで(現在の私の住まいの近所ですw 深夜まで営業してます。ちなみにデニーズもあるんですけどねっっ少し歩くから)
六本木はともかくとして、江戸川橋の中華屋であのかっこですよ。ラーメンとかチャーハンとか、そんなメニュー。
「ボン・ジョヴィが中華食っとる!!」
って、目撃した地元民はびっくり。以来、ボンファンの聖地になりました(でもねぇ、脂っこくて味はイマイチ。私はよっぽどでないと行かない)。
まあ、もう来日することないだろうから、あれですが。
「Wild In The Streets」1986
それとどうでもいいことですけど、以前、私は駒込に住んでいたことがあり、その日本・駒込に一時的に住んでいたという、ミスター・ビッグのポール・ギルバードとすれ違ったことがあります。
Mr. Big「Take Cover」1996
彼の奥さん、日本人なんですよね(同じ駒込といっても向こうさんはリッチな文京区エリア。私は北区住人だったので、駅は同じでもご近所さんではない)
マーティ・フリードマン(やはり奥さん日本人)と仲良しで、日本のテレビ番組でも共演していましたなあ。
ポール・ギルバートと六義園近くですれ違ったとき、
最初は「あれ??」
でした。
実はミスタービッグって私聞かないし、知らないんですよ。バンド自体が存在することは知ってたけども…洋楽を聞かなくなった時期に活動していた人たちだし。
だからよく顔が解らなかった。でも雰囲気がね、違うの。漂うオーラや存在感が普通の外人と違う。おかしいなと思って調べたら、ポール・ギルバードだった!
なんでこんなとこにいるんだよってねぇ…マジ驚くよ、ファンだったならば(私はファンではないので)。
たぶん、近所のスーパーの買い物帰りに、突然目の前に止まったリムジンから、ポール・マッカートニーとリンダが降りてきて、目が点になり、顎が外れそうになった、後楽園(正しくは本郷三丁目)在住の、友人の気持ちもそんな感じ?? 友人はビートルズエイジで、ポールのファンだったから。そんな驚きで済まされる出来事ではなかったと思う…(東京ドームでのライブ前に、真砂小学校に立ち寄ったらしいのよ、二人)
Paul and Linda McCartney「Heart Of The Country」1980
そして、江戸川橋のうらぶれた中華屋でラーメンをすするボンたち。見たかったよー 会いたかったよー
「Bad Medicine」1988
「Do What You Can」2020
コロナ禍の中、あれやこれや振り返って作った曲だそうです。ジョンもすっかり白髪頭で渋い声のオジサンに。子供達も育ったし、ワインなんかも副業で作ってたりとか…
リッチーの脱退(離脱)は残念だけど、娘さんのケアを第一にした結果なんだよね。結婚して子供を授かった以上、彼は父親としての責任も果たさなくてはいけない。両親の離婚で傷ついた、ティーンエイジャーの娘さんのため。バンド活動(ツアーなどで)で十分に一緒にいてあげられなかった娘さんのために、父親としては最高の選択で英断だと思う。
「Always」1994
音楽ファンとしては彼のプレイが聞けないのは…彼がいないボン・ジョヴィというのは考えられないし、とても寂しいことで損失とも思うけれども。
人間として、親としては応援したいし、彼の決断を尊重するし尊敬する。子供や家庭を犠牲にしてまで作る音楽に、人の心は動かせないもの。
けれども、それは同じ親の立場としては解っているけど、仲間を失うことは辛いことなんだろう。それだけ、共に長く一緒にいたリッチーという存在は、かけがえのない友や仲間である以上に、家族とも兄弟とも言える。絆だけでは測れない大切な人生の一部だったんだね。
「Never Say Goodbye」1986
その喪失感でずっと動けなかったけど、前に進んでるようで何よりです。
盆ジョヴィ
他blogに書いてあるものを、訂正・加筆・リンク修正の上、こちらに再度マガジンとしてまとめてUPしています。
「My Favorites〜音楽のある風景」
2020/10/27 掲載記事より転載