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神社マイラーの旅(23)~蘇我比咩神社

そして今井神社に行ったついでにこちらも。住んでいた時にはこの神社のこと、知りませんでした。今井神社の場所を確認するためにネットで調べたときにこちらのことも知って、近いし、どうせなら・・・と思い、お参りに。

知っていた街並みはずいぶんと変わっていました。昔からの人も住んでいるんでしょうけど、新しい住人も多いんだろうな。

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詳細は神社のサイトがあるので、そちらにも書いてあるのですが、地名が表すように、歴史でお馴染みの蘇我一族にゆかりのある神社でした。

自分の言葉で書くのがめんどくさいので、ほぼ引用しちゃいますっっ

その昔、ヤマトタケルが遠征した際、千葉沖に差しかかったとき、船は進まず沈没の危険にあいました。 このとき弟橘姫は「龍神の怒りに触れた」とこれを静めるために同道して来た五人の姫達と共に身を海中に投じたとのこと。

その身を投じた五人の姫の中に蘇我大臣の娘たる比咩がおり、この方がこの下の海岸に打ち上げられ、里人等の手厚い看護で蘇生することが出来て、無事に都に帰りました。 この里人等の行為に深く感激した第十五代応神天皇は、特別の命により蘇我一族をこの周辺の国造として派遣し政治をおこなわせました。 蘇我一族は、代々「春日神社」「比咩神社」を守護神としており、両神社の御分霊をいただき「蘇賀比咩神社」を建立したとのこと。

でもね、私が中学の時、「蘇我」の地名の由来に関して、学校の先生から野外授業の時に郷土史の話を聞かされたんですが…確か全く違う内容の話だったんですね。だから、そっちの蘇我氏に由来する地名と言う説があることを始めて初めて知ったかなー びっくりだぜ。まさか飛鳥奈良時代の、あの蘇我氏とは結びつけて考えたことなかったから。ちょっと、ほへぇって感じ。

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公式サイトで見た時と印象がだいぶ違う、こじんまりした神社でした。作務所もあることはあるけど、授与品も御朱印もなしです。

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そうですね。仕事目線になるけれども、お掃除が必要な神社さんでした。うーん。街自体が色々あったから、仕方がないんだろうなあ。

そして、こちらの神社の帰り道に、その昔、私が犬に噛まれた時にみてもらったことのある外科病院があったりして、なんか懐かしかったです。まだ、あるんだーって。もちろん、代替わりはしているはず。あれから50年近く経ってるもんねっっ ちなみに4回噛まれているんですが、毎回違う病院で、そこは4回目の時に通った病院なのでしたww




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The Sacred Journey ~スピリチュアル・セラピーの現場から
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