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Case Study - 番外編「吸収された他者の記憶」

人というのは、信じたいことだけ信じ、
自分が見たいと思うものだけ見て、
聞きたいことにしか耳を傾けない生き物だ

事実を聞かされたとしても、
受け入れられないことは拒絶し、
認めたくないことを決して認めようとはしない

良いとか悪いとかではなく、
それが人の心理的抵抗というもので

理性よりも感情が勝っている人にとっては、
個人的主観というものが何物にも優先されるから、
客観的に物事を図ることが出来ないとしても、
他者のことならともかく、自分のことに関しては、
物事への初期反応として、しごく当然のことであると言える

心が納得できるか出来ないかが、すべての判断の鍵になるので

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記憶と言うのはあやふやなもの
過去記事「記憶は嘘をつく」にも書いたことであるが、
当人が記憶していることというのは、
客観的な事実とイコールとは限らず、
あくまで当人が
そのように「思い込んで」いることにしか過ぎない

とはいうものの、過去生セラピーの現場にあっては、
真実がどうであったか…
ということを明らかにすることが目的ではなく、

それが事実とはかけ離れた虚構であったり、
勘違いや思い込みなどの偽りの記憶であったとしても、
当人が記憶して(思い込んで)いる頭の中にある物語や
体験からの心理的反応によって引き起こされた、
現代の人生に良くない影響を及ぼしている陰を極力取り去り、
問題を解決することが肝心なので

とはいうものの、当人が
「この朧げな記憶のようなものが、
事実(真実)であったのか知りたい」
という場合には、また話は違ってきてしまう

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ある人が、
「子供の頃から、こういう夢をよく見るんです。
 そして何故か幼少時から、
 とある実在の、あの有名な少女がした体験に、
 心を惹かれるというか 強く関心を持ってしまい、
 自分が彼女だったとは思わないけれど、
 もしかしたら過去生で彼女と同じような立場で、
 似たような体験をしたのでは?と…」
当方を訪ねていらした。

だが残念ながら、私の見立てでは、
「その記憶は間違いなく、あなたの前世の記憶で、
 彼女と似たような経験をなさっているようですね」
とは言ってあげることは出来ず、
その方自身の推察を肯定することは出来なかった
(たぶん納得できなかったと思う)

とはいうものの、
あながち間違いということはなく、
その記憶が誤りであると、
と全面的に否定出来ないのもまた事実

しかし、ちょっと複雑で、
霊的真理の知識を学んだことのない人には理解しがたく、
事前知識のない人には説明しがたいものであったりした

単純に言うならば、
その方が自分の過去生ではないか?と疑われる、
史実的に有名である某少女と同じ時代に、
某少女と同様の体験をしたであろう、
その「少女」は確かに存在していた

けれども、
その少女は訪ねてきたその方自身ではなかった
同一人物ではない…のである

ではどうしてこの記憶のような確証が、
暗闇の中で怯え、
隠れ暮らす人生の記憶があるのか…
息の詰まるような閉塞感と絶望の影が、
今も心に残るのか…

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