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母たちのインスタは映えのためじゃない
あっという間に、娘が生まれてから100日が経った。
本人は興味ゼロであろう中、今日は朝から写真撮影をしよう!とひとり勝手に意気込んでいて。
もったいなくて一度も着せてなかった、いただきもののガーリーな花柄のスカートを着せて、ふりふりのスタイをつける。
「100days」やら「祝百日」、ケーキに鯛などさまざまな木製のプレートを娘の周りに並べて、なんとか笑顔を引き出そうと必死にクマのガラガラで気を引き、何十枚も連写。
相変わらずの大福感がぬぐえない中、なんとか撮れた選りすぐりを数枚、夫に共有しつつインスタのストーリーズにもアップして……今日の写真撮影ミッションはなんとか完了。
こんな風に書くと、娘の意思を無視して一人で勝手に浮かれては「映え」を気にする母親のように、思われるかもしれない。
私も自分が母親になるまでは、母になった友人たちのSNSの使い方をどこか冷めた目で見ていた。なんなら偏見を持ってしまっていたようにも思う。
自分の子どもが生まれると急に投稿がそればかりになって、頻度も増えるんだなあ……キラキラした映えを気にするんだなあ……とか。
これだけ頻繁に投稿しながら、常にオンラインになってるってことは仕事してるときよりかは自由な時間があるのかなあ……とか。
自分とはちょっと違う世界だな、と斜めから見ている自分がいて。
でも、赤ちゃんを育てる母親たちのインスタは映えのためじゃないし、自由な時間を持て余して投稿しているわけではない……と、彼女たちと同じ立場になってみて初めてわかった。
もちろん、人によって違うというのは大前提のうえで……私にとってのインスタ投稿は
繰り返す育児の日々が「意味ある日常なんだ」と確認するため。
「ここまでよくやってきた」と自分を褒めるため。
承認欲求を満たすためじゃなく、自分を鼓舞するためのものなのでは?と思う。
常にオンラインなのは、外出の機会が少ない中で社会とのつながりをなんとか持つためだし、スマホを持つ片手でできることが、世界の全てに近い感覚になるのだ。
他者からよく見られるためではなく自分のため、と思っているSNS投稿。それでも、外とのつながりのおかげで思わぬ人から声をかけてもらって共感してもらったり励ましてもらったり……家にひきこもっているだけでは感じられない嬉しいことがたくさんある。
それはこのnoteも同じで、あえていろいろな人の目に触れる場所で発信することは、それなりの意味があるはずだ。
自分が当事者になってみて、初めてわかる「向こう側の世界」がある。あれこれ勝手に決めつけずに想像力を持って生きていきたいし、例え自己満足では?と冷めた目で見られようとも、自分なりに納得しながらこれからも発信を続けたい。
100日の投稿にいただいたあたたかい「いいね」に励まされながら。今日も今しかない娘との一日を、大事に過ごそうと思う。