自分の音をかき消さない
「大学院生に夏休みはない」
先月、言われた。
確かに、その通り。
大学院への進学は、
今や単にステータスになりつつあるが、
本来は、学問への専門性を高めるため、
もっとこの学問を学びたいから、
という意志が根幹にあるから、その道を選ぶ。
だから、大学院に進学した学生には、
本来、夏休み・冬休み・春休みといった、
長期休みは、ほとんどない。
否、研究・実験につぎ込まれるから、休みではない。
そんなことは、分かっていた。
だけど、こうもはっきり言われたことは、今までなかった。
逆に、もっと休めと言われる方が多かった。
私は、真正直にその言葉を受け止めてしまったのだろうか。
あれもこれも、やらないと...
言われてたことがまだできてない、早く片付けないと...
自分のキャパシティを過信して、
知らず知らずのうちに、積み込んでいった。
消えることのない To Do リスト。
迫りくる赤字の締切。
空白のない予定表。
大学受験時と同様に、マルチタスクをしていく日々。
だけど、高校生の時の私と、今の私とでは、
その体力や気力に差があり、
生活スタイルの大きな変化に順応できなかった。
順応しようと、適応しようと、
自分なりに努力してきたけれど、
昨年から激しく変わったこの生活スタイルに、
私はまだついていけていなかった。
今回の体調不良で、それを痛感した。
そして、休みはない、という言葉を真に受けすぎたがために、
自分の音の異変に気付けなかった。
ここ最近は、自分の音が他人の音にかき消されるばかりだった。
何のレクチャーも受けていない、初心者同然の私に、
上級者向けの課題(資料作成)を課されて、
自分なりに、こうかな、ああかな、と考えて作った資料を基に、
発表したら、
「全然違う」、とかなり貶されて、
「話にもならない」、みたいな言い方をされた。
自分の研究費を使って、研究用のパソコンを買いたかったので、
自分なりに選定して、
許可が必要だったから、指導教員に相談したら、
「それはやめた方が良い」
「修理方法が面倒だ」
「そんな型落ちを買うのか」
と、買う気が滅入る程、言われた。
そして、極めつけは、
「大学院生に夏休みはない」
「大学院生で英語が使えないのは良くないから、早く勉強して」
以前にも書いたけれど、
私は、とても効率が良くないから、
私がやりたいと思うことを短期集中でこなすのは、苦手だ。
自分のキャパシティを広げようにも、
その分の代償が大きすぎる。
それは、私がもつ本来の可能性を閉ざす行為なのかもしれない。
私は、もっとできるのかもしれない。
だけど、このままだと、
私の体だけでなく、心までおかしくなってしまいそうで。
さっき書いたこと、
これまでに私に言ってくれたことが、すべて間違いだとは思わない。
むしろ、私のために言ってくれているのだとも思う。
だけど、私の中からこみ上げてくる涙が、
私から発せられる熱が、
それらから私を守ろうとする。
そして、私に言う。
自分のペースを崩してまで、
全ての要求に、すぐに応える必要はない。
全ての言葉を、真正面から受ける必要はない。
他人の音で、自分の音をかき消してはいけない。
他人の音で、自分の音を自分でかき消してはいけない。
私は、良くも悪くも、他人の影響を受けやすい。
だからこそ、たまには他人から離れて、自分の音を静かに聞かないと、
自分を失ってしまう。
そのことを発熱と涙が、身を以て教えてくれた。
my NOTE / TONE をかき消すなと。
涙を流しすぎて、頭痛がする。
今日も早く休もう。