それでも
どうしたって、
ここにある感情のすべてを、
解き放つことは、難しい。
だが、仮に、解き放とうとしても。
上手く表しきれないから、
結局、二重/三重のフィルターで、
よく分からなくなる。
それでも、
ここにあるはずのこころは、
ここでの行き場を失って、
新たな住処を探そうと、
音を立てて、蠢く。
ここにしか存在し得ないのに。
私は、頭脳明晰ではない。
アイデアマンでもない。
理系なのに、数学と物理が苦手。
最後のは、我ながら、
ここまでよくやってこれたな、
と自嘲さえする。
結局、
私のこれまでやってきたことは、
誰かの模倣であり、
そして、これから考えることも、
また、模倣しか浮かばない。
独創が評価される世界と、
私は常に対極にいる。
だから、ここ数年は、すべてが同じに見える。
もう私に出来ることは、
見えない壁の向こう側の誰かも出来ているし、
世界で、解決できていないことは、
私が取り組まなくても、
きっと私よりももっと先進的な人が、
とっくに取り組んでいるし、
私よりも先に解決するだろうから。
私が取り組む必要はない。
でも、こんな私でも、ここまでやってこられた。
それは、自分自身の頑張りがあったから。
だから、もっと頑張れるのではないか。
やれることがあるのではないか。
何よりも、
これまで、私を支えてくれた人、
ここまで、私を連れてきてくれた人へ、
私は、研究を以て、科学という学問を以て、
恩返しする必要があるのではないか。
今しかいられない場所で、環境で、
今しか関われない仲間と、
もっと色んなことに取り組んで、関わって、
何かを創り上げたりできるのではないか。
私はまだやれるはず。
私にできることは何か。
ずっと、考えていても、最初に回帰する。
その上、今の私は、
寂しくて、恵まれた人。
最も上の学年でありながら、狭間にいる。
ほとんどのことを知り、
ほとんどのことを実行することができるからこそ、
あえて実行せずに、
見守ろうと、決めたにもかかわらず、
もっとこうしたら、良くなる、とか、
ついつい色々考えてしまう。
葛藤が日に日に上書きされる。
その葛藤は、私だけではない。
でも、不出来な私は、
不完全な葛藤をすぐに口にしてしまうから、
本当は、しなくてもいい、議論をしてしまう。
目の前の何かに怒りを覚えている訳ではないが、
考える気が失せて、
もういいや、って、つい言ってしまう。
今日も、言ってしまった。
問題意識を持てない、
あるいは、持とうとしない人が、問題なのに、
どうやっても、その問題に対象者自身が気付くことは難しいだろう。
そんなこと、そこまで深く考えられる人はいない。
そう言われた瞬間に、
すべてを拒絶する言葉を言ってしまった。
こんな不完全な私は、必要ないかもしれない。
あの場所にいる誰からも必要とされない。
あの場所に行かなくていいと思うと、
ほっとする自分がいる。
いっそ、身軽になりたい、
そう思う一方で、
身軽になるための方法をずっと考えている私には、
まだまだ、軽くなれそうにない。