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死にたい頃の私はいつも
希死念慮くんって言う子が、私の心の中に数年前から住み着いた
その子は不定期に、特に雨の日に遊びに来る
こんにちは、死にたくなりませんか?って
ポップに書いたけど結構泣いてたり、する
数日間の滞在の時もあれば、1ヶ月くらい居候されることもある
死にたくなるといつも、涙が出なくなる
不思議だ
いつも布団の中で泣いているのに
涙腺に栓をされたみたいに
ただ熱くなるだけの目頭を抑える必要もなく
だけど何かが胸を巣食って痛い
痛い。
痛いことに、安心したりする
きちんと痛んでいるならまだ、私は生きてるんだって思ったりもする
ほら、感情って相対的に存在するっていうじゃない
死にたいと思うと、同時にすごい量の生きたいが脳の表面を巣食うようになる
どうせ死ねないの中に
弱さのようなものを抱えて
飛び込める人とか、つれる人とか
そういう人に
どこかうっすらとうっすらと
尊敬の念のようなものを抱きながら布団を被っている
恵まれている国に生きている人ほど、問題じゃないものを問題にして抱えると恋人は笑った
その時から彼が持っていたコーヒーを飲めなくなった
苦しいの、あじ。するから
死にたいを抱えた私は
死にたいを抱えることで生きているように恋人に見えている
苦しいをこぼせないまま笑っている私は
苦しいを溶かして愛しているように見えている
死にたい頃の私はいつも
縋るままにして生きていきたいと願っている
またねという言葉のまた、を信じて生きている
好きな人のLINEの返信が来ることを願って生きている
あの歌手の新曲を待って生きている
死にたい頃、私は
いつもどこか自分を愛している
憎みきれないこの自分を
切り離せずにいる
だからきっと
きっと私は
明日も生きていく。