生きづらさはどこから来る?
生活訓練を立ち上げる時に考えていたことの中に、障害の診断の有無に関わらない「生きづらさ」への支援の裾野を少しでも広げたいなぁ、という思いがあります。
いろいろと手がけようと思っていることはあります。
ただ、ここ数日ずっと折に触れて頭の中によぎっているのは「生きづらさってどこから来るんだろう」ということです。
生きづらさってひと口に言うけれど、僕はその生きづらさが一体どういうメカニズムで生まれるのか、起きているのかを知らなすぎるんじゃないかと思っていて。
実際に支援を行っている中でも、障がい特性からくるものだったり、家庭環境から来るものだったり、生育環境から来るものが原因になる生きづらさについてはざっくりと掴むことはできますが、そこで起きる本人の体感値、つまり心で感じている生きづらさをどれくらいの解像度で理解しているか、と言われるとあまり自信はありません。
何が生きづらさに繋がっているかは紐解く事ができると思います。それを本人と共有する事も。
解決に向かう方法も提案できると思うんです。
でも多分それで理解できてるわけではありません。
まるで自身を罰するかのように生きづらい方へ寄っていく方もいます。
前に進むよりも、生きづらい状態を選んでいるかの如くそこに留まる人もいます。
生きづらさを感じる事柄をまるで探して見つけにいく人も。
もちろん、前に進む事が怖くて踏み出せないとか、「解消するわけない」と決め込み気味になってしまうメンタリティも、頭では分かってるんだけど、というメンタリティもあるとは思います。
単純に生きづらい「状況」を解消すれば心も解放される、というものじゃなく、本人の心の中では反復し続けていたり継続していたり、フラッシュバックしたり…。
終わらないんです。
生きづらい心が新たな生きづらさを生み出すような連鎖もあります。
どうしてそんな風に心が動くんだろうか、どうして「心の中の事実」が現実を越えてリアルさを帯びるんだろう。
どうして図らずも生きづらさに留まる方へ心が動くんだろう。
何の結論もないんですが、しばらく僕の大きなテーマのひとつになりそうです。